「ブランド力ない」「勝てる戦場へ行く」元Jリーガー(30)が見据えた"将来"。特殊清掃という仕事にキャリアチェンジした本当の訳《後編》

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マンションは一戸建て以上に臭い漏れなどの配慮が必要になる。体液が染み付いたものは三重に密閉して、さらに周りから見えないように段ボールで隠して外へ運び出す。近所に知られたくないからと深夜に作業してほしいと依頼を受けることもある。

年代別サッカー日本代表にも選ばれたことのある元Jリーガーの尾身さんは、なぜ現役引退後のセカンドキャリアに特殊清掃を選んだのだろうか。

それは「人がやりたがらない仕事だから」だ。

といっても、小学校のときに先生から言われたような、「みんなが嫌がることを進んでやりましょう」という自己犠牲を美徳としているわけではない。尾身さんは戦略として、“その道を選択した”のだ。

戦略としての「特殊清掃」とは?

「サッカーに関連する仕事には携わりたいと思ったことはないです。僕はJ3の選手で、サッカー選手としてのブランド力で考えると、日本代表選手やJ1でプレーしている選手よりも低い。同じ土俵で勝負するよりも、勝てる戦場に行こうと考えていました」

大学卒業後4年間プレーした、J3のY.S.C.C.時代に経験したさまざまなアルバイトを通じて知った職種の中で、最もアスリートがやらなそうな仕事、それが特殊清掃・遺品整理だった。

「サッカー選手とのギャップがあるほど、目立つことができると思ったんです。特殊清掃をしている元アスリートは僕の知る限りいないので、いずれはメディアにも注目してもらえるだろうと考えていました。もちろん、孤独死は社会問題になっているので、おそらくこれから先もニーズが増えていくだろうという見通しもありました」

創業から1年もしないうちに、「元Jリーガーが防護服で特殊清掃」と地方紙に取り上げられ、マスクを提供したいと支援を申し出てくれる企業も現れた。筆者もまんまと尾身さんの策にはまった1人だ。

「戦場を変えれば勝てる」。そのことに尾身さんが気づいた1つのきっかけがあった。高校3年のときに攻撃的ポジションからサイドバックへ転向したことだ。

中学まで尾身さんはドリブルやスピードを武器に攻撃の中心を担う存在だった。中学3年生から名門・横浜F・マリノスのユースの練習に参加し、順調にいけばプロになれると信じていた。

黙々と作業を進める(写真:大澤誠撮影)
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