「ブランド力ない」「勝てる戦場へ行く」元Jリーガー(30)が見据えた"将来"。特殊清掃という仕事にキャリアチェンジした本当の訳《後編》

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高校時代の優勝体験という成功は、その後のサッカー人生ではマイナスに作用した。けれども、失敗だったと思っていたリーグ戦で勝てなかったという経験が、サッカーを辞めてからの人生にはプラスに働いた。成功が失敗に、失敗が成功に変わることがある。だから、人生はおもしろい。

亡くなった人のことを思いつつ片付ける(写真:大澤誠撮影)

ファーストキャリアで得たもの

尾身さんが引退後のキャリアを築くうえで考えたのは、「どのポジションで戦うか」だけではない。自分は「どんな武器を持っているのか」についても見つめ直し、それをためらうことなく使った。

前編でお伝えしたが、尾身さんは遺品整理のアルバイトをするうちに、清掃のノウハウを身に付け、「あとは案件をどう取ってくるかを考えればやっていけそうだな」と会社を立ち上げた。

当然ながら、仕事を獲得することはそんなに簡単なことではない。特に、起業をした直後は実績も信頼もない。ただ、清掃業としての実績がなくとも、尾身さんには「元Jリーガー」の肩書と選手時代に得た人脈があった。それを最大限に利用した。

いらないプライドは捨てた。これはファーストキャリアで学んだことだ。

「仕事は人から紹介していただくことが一番多いです。ただ、それができたのはサッカーをしていたからです。チームを中心にサポーターというコミュニティができているので」。尾身さんは、Y.S.C.C.を応援している会社の社長や自宅の大家などの力を借りて、互助会などの仕事につなげていった。会社経営をしたことがなかった中で、先輩経営者の助言もありがたかった。

「本当にたくさんの方に助けられて今があるなと感じますね。高校生で初めて横浜で1人暮らしをしたときも、『町内会の孫』と言われて、可愛がってもらいました。ケガをして松葉杖をついていたら、近所のおばちゃんたちがご飯を作ってきてくれるんですよ」

応援される人であることは、尾身さんの最大の武器かもしれない。「でも、若いから応援しようが通用するのは、35歳くらいまでだと思うんですよ」。だからこそ、尾身さんは35歳までに、今度は自分が人を応援できる立場になりたいと考えている。

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