「この家を出なければ殺してしまう」酒と男に依存する母、娘から"搾取"続ける父に絶縁後まで苦しめられ…毒親育ちの作家が語る「壮絶すぎる半生」

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今度こそ母と仲良くなれるかもしれない。今度こそ母に優しくしてもらえるかもしれない。何度も期待しては絶望することを繰り返した。しかし、母のひと言でようやく諦めがついた。

「これ以上、毒親に苦しめられるのはごめんだ」

アルテイシアさんは携帯電話とメールアドレス、住所を変えて、両親と完全なる絶縁を果たした。

「美しい女でい続けなくては」呪いにとらわれた母

ただし、その後アルテイシアさんは、33歳のときに母と再会している。母が拒食症で入院して、命にかかわる状態だと連絡が入ったからだ。

母は意識障害を起こしており、病室で顔を合わせてもアルテイシアさんのことがわからない。そんな母を見て「自分を傷つけない今の状態なら愛せる」と思った。それから母の容体は順調に回復し「口を開けばわがままを言う通常運転」に戻っていく。

ある日、母は担当医に「男の人を紹介して。お医者さんと結婚したいの」と訴えていた。それが、アルテイシアさんが最後に見た母の姿となる。

退院から数カ月が経った真冬の午後、ひとり暮らしの部屋で母の遺体が発見された。拒食症をこじらせた末の心臓発作だったらしい。59歳の母の部屋には、20代のギャルが着るような服が壁一面にかかっていた。

また、母の日記帳も発見した。かなり年季の入った日記帳で、恐る恐る開いてみると周囲への悪口がビッシリと書かれていた。見栄っ張りでミーハー。いつまでもチヤホヤされていたい母のすべてが部屋に詰め込まれていた。

「もうホラーでしたね。母は、“女はいつまでも若く美しくいるべき”という呪いにとらわれていたのでしょう」

アルテイシアさんは中学生の頃から「お母さん、ちゃんと自分の足で立ってよ」と思っていた。しかし大人になってフェミニズムを学び、気がついた。1950年生まれの母は、自分で立つ足を奪われていたのだと。母は23歳で専業主婦になり、夫に養われる以外の選択肢がなかったのだ。

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