「この家を出なければ殺してしまう」酒と男に依存する母、娘から"搾取"続ける父に絶縁後まで苦しめられ…毒親育ちの作家が語る「壮絶すぎる半生」
もともとあまり家にいない父だったが、アルテイシアさんが小6の頃にはまったく家に帰らなくなっていた。当時は深夜残業や休日出勤が当たり前だった時代。家を不在にする父親が多かったことから、とくに疑問を抱かず「そういうものなのかな」と思っていた。
ところが中学に進学して間もなく「自分の家ってヘンなのかな」と自覚する出来事が起きた。親戚のひとりが突然「あなたも大変ね。ご両親が離婚して」と言い出したのだ。
「えっ。うちの親、離婚してたの!?」
「青天の霹靂」とは、まさにこのこと。「幸せそう」と周りからうらやましがられる存在でいたかった母は、実の子にも離婚したことを伝えていなかったのだ。
中学校の入学式で誇らしげな顔をしていた母だったが、その頃にはすでに夫婦仲は冷え切った状態だった。バブル崩壊で父の会社が経営不振に陥り、ついに結婚生活は破綻。母は40歳のときに父から離婚を告げられたのだという。これも親戚から聞いた事実だった。
母も父も好き放題。アルテイシアさんの救いはどこに?
離婚を機に母の精神状態は不安定になり、アルコール飲料が手放せなくなった。「朝からお酒を飲んでは意味不明なことを言い、深夜に無言電話をかける毎日。さらに手首を切り、薬を大量に飲むようになりました」とアルテイシアさんは苦笑い。自傷行為を繰り返し、救急車で運ばれたことも一度や二度ではないそうだ。
「搬送先で父に電話すると『俺には関係ない』と言われ、祖父に連絡すると『おまえがついていながら一体なにをやってるんだ』と怒鳴られました」
心のなかで「こっちは子どもやぞ!」と反発しながら、ひとりで自分を責める日々が続いた。
この頃、アルテイシアさんの救いはどこにあったのだろうか。
「学校が居場所だったんですよ。中学・高校と女子校で、女友達のおかげで生き延びた感じ。私立の学校だと友達は離れた場所に住んでいることも多いですが、幸い私には、自宅から『つらい』と電話をかければ駆けつけてくれる子がいて。結果的に寂しがり屋だったのもよかったんでしょうね。
もし家にも学校にも居場所がなかったら、大阪・ミナミの『グリ下』や東京・歌舞伎町の『トー横』みたいな繁華街に行ってたと思います」



















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