急増する「大人の発達障害」のリアル 「適職」を見つけることの重要性
「新人の頃は先輩が同行していたからかもしれませんが、営業に苦手意識はなかったんです。緊張もしませんでしたし。プレゼン大会で副社長賞をもらったこともあり、周りの人からは営業が得意だと思われていたみたいで、先輩から一緒に会社をやらないかと誘われたんです。」
こうして岩本さんは社会人2年目で、先輩が立ち上げたソフトウエアの会社に営業職として転職することになる。しかし、その会社は入社半年で倒産。会社がつぶれていく様を目の当たりにした岩本さんは経営を勉強しようと、埼玉大学の大学院に3カ月通った。その後、その知識を試したくなって3社目となる社員4人のベンチャー企業に入社。電子マネーの法人営業と技術サポートの仕事に就いた。やはり営業だったが、その会社ではさほど「働きづらさ」は感じなかったという。
「小さな会社だったから、自分のペースで仕事ができたのがよかったんじゃないかと思います。会社の同僚も自分たちで会社を作るような人たちだから、変わった人たちだったんです。自分と同じ匂いがするというか……(笑)。私の行動が変でもたいして気にならなかったのでしょう。」
チャンスと思った大企業への就職、働きづらさが全開に
2年ほどそのベンチャー企業で働いていた岩本さん。思いがけず転機が訪れる。大手通信会社からスカウトが来たのだ。通信端末を仕入れる購買担当という、最初の会社での業界知識を買われての採用だった。
「もともとハイテク機器の開発が目標だったので、この大企業で働くことはチャンスだと思いました。でも皮肉なことにこの会社で働きづらさが一気に開花したんです(笑)。購買担当といってもただ通信端末を買ってくればいいわけではありません。ほかにも業務用パソコンの発注、OA周辺機器の購入、サプライヤとの調整など、多岐にわたる業務をさまざまな人とかかわってこなさなくてはならなかった。まさに苦手な業務のオンパレードだったんです。」
特に複数の人を相手に“調整する”ことがきつかったという岩本さん。相手のリアクションに合わせて、臨機応変に指示を出していくことは、他人の表情を読むことを苦手とするアスペルガー症候群の人にとっては難しいことだという。
「全体像を見て計画を立てることも苦手でした。私の場合はADHDもあったので、ささいなミスも多かった。打ち合わせで書類をわきに挟んで歩いているとたいていどこかに置いてきてしまったり(笑)。納期があることもつらかったですね。物を捨てられないし整理整頓ができないので、一度にいろんな仕事をすると仕事がどんどん遅くなるんです。」
何でこんなこともできないんだと上司からしかられる日々に、つらくて会社に行きたくなくなったという。ストレスが体に出て、通勤電車に乗ると腹痛に苦しむようになった。