「子どもを持つ気ない」と離婚した男性が45歳でパパに…4度の流産と急病を乗り越えた鍼灸師が、元バンドマンから転身して手にした奇跡

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流産による母体への負担は手術にとどまらない。完全な回復には時間がかかるうえ、子どもに対する悲痛な思いも含め、精神的ダメージは生半可なものではないだろう。ただでさえ、仕事をしながらの不妊治療にはストレスがかかる。そんな中で、やっと「妊娠」に手が届いたと思った途端、すべてを失ってしまう絶望。どうにか立て直しても、また同じ結果が待っていたら。そして、それが何度も続いてしまうとしたら。

4度目の妊娠が流産となったとき、山本さんは妻に「もう諦めよう」と話した。これ以上、妻に無理をさせたくなかった。しかし、妻はその言葉を受けて涙をこぼした。

「まだ諦めたくない」

身体も精神も限界だったが、望みは捨てたくない。それが妻の本心だった。山本さんも「大切な妻との子どもを授かる」ことが、いつしか自分の願望になっていたことに気づく。ふたりはクリニックでの不妊治療をやめ、自然妊娠を目指して再び歩み始めた。

喜びと同時に膨らむ不安

不妊治療中から、山本さんは妻に、頭痛の緩和や目の疲れなど体調を整えるツボに鍼を打っていた。自然妊娠を目指し始めてからも、山本さんは熱心に施術を続けたという。

何が要因か、本当のところは誰にもわからない。しかし、山本さんの懸命な施術もあってか、妻はその後自然妊娠し、無事に可愛らしい女の子を出産することができた。山本さんは45歳。最初の流産から5年の月日が過ぎていた。

とはいえ、流産を繰り返し経験したふたりは、妊娠中もずっと不安に苛まれていた。「お腹が大きくなるのに比例して、嬉しい反面『またあの絶望を繰り返すのでは』と不安も大きくなる。妻は、僕よりもっと不安だったのではないでしょうか。その分、無事に生まれたときの喜びは本当に大きかったですね」

4度の流産を経て、山本さんは「当たり前ですが、妊娠は自分が望む・望まないとか、そういうことを超えた次元のものだと身にしみて理解しました」と語った。

後編:「45歳で親になって開けた世界、「座って食べなさい」と言えない親心に悩みつつも「昔なら参加しなかった」地元活動に見出した人生の完成形」では、この経験を乗り越えた山本さんが今になって思うこと、現在の子育ての様子、アラフィフパパならではのエピソードについて紹介する。
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宇乃 さや香 フリーライター

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うの さやか / Sayaka Uno

1982年北陸生まれ。大学卒業後、分譲マンション管理会社、フリーペーパー出版社、認知症対応型グループホームでの勤務を経験。妊娠・出産を経てフリーライターとして独立。生き方や価値観のアップデート、軽やかに生きるヒントを模索し、取材を続ける。

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