出会いから3年でふたりは結婚。山本さん35歳、妻は32歳のときだ。妻はフルタイムの正社員として都心で働き、山本さんは結婚1年前に整体院を鍼灸院にリニューアル、着実にキャリアを積み重ねた。
そして結婚3年目の夏、妻の妊娠が発覚する。妊活を意識していたわけではなく、山本さんは「喜びより驚きのほうが大きかった」という。1回目の結婚では子どもに積極的になれなかったが、このときは「おめでたいことだし、今は仕事も安定してきている。子どもを迎えて家庭を築いていくぞ」という気持ちだったそうだ。周囲からの祝福の言葉もあり、山本さん夫婦は嬉しさと未来への期待を膨らませていた。
しかし、このときの子は安定期を迎える前に流産となってしまう。同年の冬の出来事だった。
突然の大量出血、妊活は中断へ
この体験は、山本さんにかなり強烈な影響を与えた。子どもを素直に「幸せな授かりもの」と捉え直した矢先の、深い喪失感。そして、流産が母体に与える負担の大きさも知った。知識としては心得ていたが、「自分ごと」として感じたのはもちろん初めてだった。
夫婦は今後について話し合った。
やはり「子どもを授かりたい」――。
意見は一致し、妊娠に向けて奮闘する日々が始まった。当時の2人は30代後半。本格的に不妊治療専門のクリニックに通おうというとき、突如、山本さんが病に倒れる。
小腸から突然の大量出血、結婚4年目のことだった。放置すれば命にかかわる状況で、結果的に1カ月の入院と半年の療養を余儀なくされた山本さん。自分のせいで妊活計画が頓挫してしまった……と、申し訳なさを感じたという。
「治療しているうちに時間はどんどん過ぎていってしまう。そのことをすごく『困ったな』と感じていたのを覚えています。病気が治った時点で、すぐに不妊治療を再開しました」
だが、その後夫婦を待ち受けていたのは、さらにつらい現実だった。
「当時、妻はフルタイムで正社員をしながら不妊治療を続けていました。すごく大変だったと思います。なんとか妊娠に辿り着いても、流産してしまう。不育症というのですが、結果的に4回の流産を経験しました。妻はそのたびに流産の処置で手術を受けるので、あまりにも負担が大きくて……。そばで見ている僕も本当につらかったです」


















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