しかし、ここに至るまで、前妻との離婚、現在の妻との出会い、突然の発病、そして妻のたびたびの流産や不妊治療など、紆余曲折の歴史があった。
山本さんは大学卒業後、新卒で広告代理店に入社。会社勤めの傍ら、大学生時代から没頭してきた音楽活動を続けていた。社会人3年目を迎えたとき「今後は音楽で食べていきたい」と、退職を決意。心配する両親を「30歳まででダメなら諦める」と説得し、アルバイトをしながら20代前半の全生活をバンド活動に懸けた。
ところが、現実は厳しかった。20代後半となり「30歳」のリミットを目前にした山本さんは焦りを感じ始める。そこで、元々興味があった東洋医学に関連して整体師の職種に就くことに。そして、収入が安定してきた27歳ごろ、音楽活動を通して知り合った女性と初めての結婚をした。
「でも、31歳で離婚しました。当時、僕は結婚を『パートナーと一緒に生活すること』としか捉えていなかった。経済的にも厳しいし、まして子どもはもっと先のことだと思っていたんです。恥ずかしながら、自分のことに精一杯で、家族を増やして家庭を築いていくことは想定していませんでした」
しかし、前妻は子どもを望んでいた。そして、この不一致が原因で2人は別れてしまう。以降、互いに連絡は一切取っていない。両親と約束した30歳も過ぎ、山本さんは音楽活動にケジメをつけるべく、バンドを脱退した。
妻と出会い、妊娠が発覚するも…
その後、山本さんは地元で整体院を開業。さらに、仕事をしながら鍼灸の専門学校に通い、国家資格を取得する。整体と近い分野で興味が出たことに加え、整体師が民間資格なのに対し、鍼灸師が国家資格である点も大きな魅力だったという。
山本さんの現在の妻は、整体師時代のリピート客だったそうだ。「特定のお客さんと親密になることは滅多にないのですが……」と、山本さんは恐縮しながら馴れ初めを語ってくれた。
「妻は地元が同じで、3歳年下です。何度か来院してくれていたので世間話をするうちに、お互いの趣味が似ていることが判明し、少しずつ距離が近くなりました。後からわかったのですが、実は僕の妹と妻は同級生だったようで、これには夫婦で驚きましたね」


















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