白井:最近、私がしてきたことは「教育」ではなく「アタッチメント(愛着)形成」だったのだと考えるようになりました。
書籍のタイトルにも「誰も取り残されない教育をつくる」という言葉を入れましたが、私が今のテーマとして掲げているのは、「誰もが愛着形成できるセーフティネットを構築すること」です。子どもが生まれたからといって、誰もが自動的によき親になれるわけではありません。「親ガチャ」などという悲しい言葉もあります。
しかし、どんな家庭の子どもも愛着形成ができる社会にすることが、大人たちの責任だと思うのです。血がつながっていなくても、丁寧に信頼関係を築けば愛着形成は可能です。
日本の学校ではどうしても教科学習に目が向きがちですが、愛着形成においても取り残される子どもがいないようにすることが、社会の安定につながります。
社会全体で子どもを支え育てるという空気
窪田:実は私も、授業を集中して聞けずに動き回る子どもでした。でも勉強はできたので、先生は私を叱ることなくほったらかしにしていたんです。それが無視されているようで寂しかったし、叱られている子どもをうらやましく感じることもありました。
ところがあるとき、たまりかねた先生にビンタされたんです! もちろん暴力はいけませんが、「僕を見てくれた! ほかの子と同じように叱ってくれた!」と妙に嬉しくなったのを覚えています。
白井:それは象徴的な出来事ですね。
窪田:オーストラリアでは、学校関係者や教員個人にも、アタッチメントについての知識があるのですか?
白井:オーストラリアには、学校に限らず、社会全体で子どもを支え育てるという空気があったと思います。自分の子どもでもよその子どもでも存在を全肯定し、叱るときもその尊厳を傷つけない。子どもは自分が大切にされる存在だという実感をもって育ちます。
でも日本は謙遜することが美徳なので、あまりわが子を褒めることはしませんよね。また、儒教文化の影響も非常に強く、年長者の指示に従わないと「親不孝」「ダメな子」という扱いを受けてしまう。

















