「早稲田に入って人生が良くなった部分はある」と感じる西岡さんに、浪人して変わったことを聞いてみると、「良くも悪くも早稲田に行く人は普通の人なんだなとわかったこと」と答えてくれました。
“不潔な青春”だったあの時期
「早稲田に行く人は超天才ばっかりだと思っていましたが、大半の人は自分と同じような感じで、努力で受かった人だということを知ることができたのは大きかったです。
浪人時代のことを振り返ってみたのですが、当時の自分を言い表しているものに、吉本隆明の『青春は例外なく不潔である。人は自らの悲しみを純化するに時間をかけねばならない。』という言葉が思い浮かびます。
あの20歳前後のドス黒く、汚い、何者でもなく、欲望と、自己顕示欲と、自分を卑下する気持ちがごたまぜになっていたのがあの時期でした。
予備校に通っているときは、音楽で1回夢破れていたこともあって鬱屈としたものがありましたね。受験で志望校に受かったことが成功体験だとは自分の中では思いませんが、自分の鬱屈したところと格闘できたので、そういう期間だったのかなと思います。
今でも記者業をやっていますが、実力が足りないなと思ったときは、『受験のとき結構頑張ったから、あれと同じくらい頑張らないと結果が出ないよな』と思える物差しになったのは良かったと思います。これからもフリーランスの記者として活動しながら、NPOの活動を続けていきたいと思っています」
大学での学びや出会いを現在の仕事に生かしている彼の現在は、鬱屈した浪人の時期を乗り越えたからこそ、確かにあるのだなと感じることができました。
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