19歳で上京も"夢見失った"バンドマン 「葬儀屋で見た光景」に一念発起し、中学英語からやり直して早稲田に合格した彼の現在地

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「第一文学部は無理だと思ったので受けませんでした。第二文学部だけ受験して、もう1年受験を続けるか、高知などで夜間で通える大学に行くかどうかを考えていましたね」

しかし、最後まで諦めずに古文の対策を続けたことが、試験本番で奏功しました。

「古文を5年目(5浪目)の4月から始めたんですが、最初は英語以上にわからず、困っていました。でも、古文はよく考えたら日本語なので、文法を一通り覚えたら、あとは単語をちゃんと記憶すればある程度わかるようになることに最後のほうで気づいたんです。だから単語と用法を覚え直して、古文を音読するようになったらスラスラ読めるようになりましたし、受験当日も試験の前に『マドンナ古文』を読んでいたら、当日に単語帳で見た単語がいくつか出るなど、バシッとはまったんです」

その甲斐もあって、奇跡的に西岡さんは5浪の年齢で早稲田大学第二文学部に合格することができました。

「自分は環境が良かったことが全てだと思います。予備校代を出してくれたのは親ですからね。親がたまたま公務員でしたし、上の2人が大学に行っていたので、親が頑張って行かせてあげたいと思ってくれていました。だからこそ、進学することができたんだと思います」

現在は記者として活躍

無事、早稲田の第二文学部に進学した西岡さん。浪人して良かったことを聞くと、「毎日同じことを続け積み重ねることで、初めて成し遂げられるものがあることを浪人で感じたこと」、頑張れた理由を聞くと、「周囲に大学に行くと言い切っちゃって引くに引けなかったから」と答えてくれました。

大学に入ってからの西岡さんは、早稲田大学の名物授業、大隈塾で出会った高野孟さんの株式会社インサイダーに入社し、インターネットニュースを担当。アルバイト原稿を様々な雑誌に書き始めます。その後、朝日新聞出版に入り、「週刊朝日」「AERA dot.」編集部を経験したのちに、現在はフリーランスの記者として活躍しています。

今年3月には、自身が関わっているNPO、「自伐型林業推進協会」のメンバーと一緒に『自伐型林業 小さな林業の今とこれから』を出版しました。

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