19歳で上京も"夢見失った"バンドマン 「葬儀屋で見た光景」に一念発起し、中学英語からやり直して早稲田に合格した彼の現在地

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西岡さんは1979年3月7日に高知県高知市に、公務員の父親と、専業主婦の母親のもとに生まれました。兄と姉がいる3人兄弟の末っ子として育てられた西岡さん。

小学校のときはソフトボールをやっていて、4番ピッチャーでキャプテン。児童会長も務めていたそうで、親には今でも「あのときが人生のピークだったね」と言われるそうです。

小学校時代の成績は真ん中か、真ん中から少し上くらいでしたが、公立の中学校に上がってから様相は一変しました。

“荒れていた中学”で勉強をしなくなる

「たぶん、世代としては校内暴力の最後の世代あたりだと思うんですけど、通っていた中学校は荒れていることで有名で、授業が成立していませんでした。 学級崩壊どころか、学校崩壊していたので、周囲に流されて自分もまったく勉強をしなくなりました」

高校受験では高知県立高知東高等学校に進んだものの、入ってからもまったく勉強をしなかったそうです。その代わり、当時夢中になっていたバンドに打ち込む生活を送っていました。

「高校2年生のときの5段階の評定は1.8でした。通知表は半分1で、上の学年には補習と追試を受けてギリギリ上がりました。当時は、朝3時からアルバイトをして6〜7時に家に帰って、お風呂に入って着替えて、毎日遅刻して学校に行っていました。夜はバンドの練習に行ったり遊びに行ったりする感じでした」

高校に入ってからギターを始めた西岡さん。その腕前は見事で、高校3年生のときに組んでいたハードコアパンクのバンドでは、たまたま出場した高知県のコンテストで優勝したこともありました。将来的には、仲間たちと東京に行ってバンドをしようという話もしていたそうです。

「メンバーとは、高校を卒業したら高知から出てどこかでバンドをしようという話をしていました。他校でもバンドをしている仲間もいたのですが、彼らも卒業したらみんな東京に行くという話をしていましたし、仲が良かった先輩もいっぱい東京に行っていたので、自分たちも上京しようと話していました」

高校時代(写真:西岡さん提供)
高校時代の西岡さん(写真:西岡さん提供)

就活をせず、高校を卒業した西岡さんは葬儀屋や引っ越し屋でアルバイト生活を始め、東京に行く資金を稼ぎます。高校時代から組んでいたバンドは途中で解散したものの、東京でバンドをやるという西岡さんの目標は変わりませんでした。

そして、1年と少しアルバイトを続けた19歳の夏、ある程度お金を貯めたので「バンドのあてはないが、行ったらなんとかなるだろう」とついに東京に行く決断をしました。しかし、そこから彼のバンド活動は長続きしませんでした。

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