「愛娘に続き、母親も亡くして…」「お前、そろそろ本気出して気入れろ」沖縄No.1芸人の地位を捨て、東京に進出した俳優ベンビーの知られざる挑戦
「語弊があるので表現が難しいんですが、今まで本気を出してなかったんじゃないかっていうのはずっと心の中で引っかかってました。沖縄時代、一つひとつの仕事をいつも一生懸命やっていたのは間違いないです。でもすべてに全力でやっていたかというとわからないです。聞く人にとっては嫌味なやつだととられかねませんが、本気を出さずにある程度行けたというか、ポテンシャルだけで行けちゃったみたいな感じはあります」
言葉を慎重に選びながら、ベンビーはゆっくりと語り出す。決して大上段から言っているのではなく、自分の恥部を曝け出しているような感じで申し訳なさそうに喋る。
確かに、本気で東大を狙えば行ける学力がありながら、あっさりと地元の琉球大学に行った。中学受験のときも同じだが、1カ月ほど根を詰めて勉強するだけで志望校に楽々入れてしまうのだ。
芸人になっても持ち前のキャラクターと抜群のトーク力で沖縄ではすぐに頭角を現し、トップに出るのにそう時間はかからなかった。
言うなれば、100メートル走でみんな真剣にゴールに向かって走っているのに、ベンビーだけは80メートル走の感覚のまま楽々トップでゴールをきってしまうようなもの。

「ちゃんとやらんといかん」本気の再出発
「沖縄の時代からちゃんとやらんといかんってずっと思ってたんです。まあ普通に食えちゃってるみたいなところもあって、人間ラクなほうへと引き寄せられるというか、やっぱり気合が入らなかったのかもしれません」
沖縄がどうこうではない。ベンビー自身の意識の問題だ。競争相手がいないのであれば、もっと早くに外の世界へと進出するべきであり、そのタイミングを見計らっていたというのであれば沖縄でもっと自己研鑽をすることも余裕でできたはず。恵まれた環境についつい甘えが出ていた。
「芸人になるとき、親父は反対するだろうなと思っていたのが、『ネタを書くのはお前か?』と尋ね、『そう、俺』と答えると『わかった』とだけ残してあとは一切何も言わなかったんです。そのときは芸人で食えなくても放送作家として書くことで身を立てろという意味かなと思ったんですけど」
父・自榮は、ベンビーが幼い頃から余力を残しながら物事を処理してきたことを傍でずっと見ていた。だからこそ、ゼロから1にするネタ作りで存分に頭脳を発揮してほしいという願いもあったのではないか。
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