「最愛の娘が突然亡くなって…」「たくさんの景色を見せてあげたい」50歳で地位も名誉も捨てた俳優ベンビーの"強すぎる決意"

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ベンビーは照れ臭そうに何かを思い浮かべながら話す。

「琉大に入ってから学校に行かずに、酒飲んだりして遊んでましたね。毎日、能天気でした」

沖縄の激しく照りつける太陽の光を浴びながら、当たり前のように授業にも出ずに「酒酒バイト酒バイト」の鉄板ローテーションでキャンパスライフを謳歌しまくった。

「結局、単位不足により大学4年時に除籍になりました。しょうがねえなと思いながら、その年の9月にオーストラリアへ留学しました。向こうの大学を卒業しようと思ったんですが、石油販売王として君臨していた大嶺家が傾いちゃったんです。

ビザを取りに帰ってきたときに親父の頭に白髪が増え、それまで完全仕送りだったからさすがにこれ以上は負担かけられないと、1年弱で帰国です。見境もなく思いっきりスネを齧りすぎました」

左:22歳、オーストラリア留学中、お金もないからバリカンでスキンヘッドにしたヤンチャベンビー(写真:ベンビー提供)右:やさぐれベンビーの隣には留学先で知り合ったシンガポールの女の子。今は連絡と取れない(写真:ベンビー提供)

大学は9年かかってなんとか卒業

まさかの富豪大嶺家の没落。呑気に放蕩生活を送っていたツケが回りまわって大嶺栄にも巡ってきたとでもいうのだろうか。

とりあえずやりたいこともないので、入学金を払って琉球大学に3年時編入で再入学する。除籍、留学、再入学と行き当たりばったりの生き方を堂々歩む大嶺栄も25歳となる。結局、大学は9年(在籍7年)かかってなんとか卒業する。

再入学した翌年、たまたま新聞に掲載された芸能事務所オリジンの「お笑いオーディション」の広告を目にしたことが運命の歯車を動かすきっかけとなる。

「小学校からお笑い番組をよく見てました。もともと表立って笑わすタイプじゃなく、近くにいる人にボソボソと呟いて笑いを取ったりする感じでした。お笑い好きの同級生とオーディションに出ようとしたんですが、ネタも書いたことないので、とりあえず観に行くことになったんです。

MCがキャン×キャンで、出場者が終わったあとに2組のプロの芸人が舞台に出て芸を披露し、そのうちのひとりが当時ピン芸人の真栄田賢(スリムクラブ)でめちゃくちゃ面白いんです。『あっ、これだ!』バチコンッときましたね」

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