「最愛の娘が突然亡くなって…」「たくさんの景色を見せてあげたい」50歳で地位も名誉も捨てた俳優ベンビーの"強すぎる決意"


沖縄県中部に位置する沖縄市胡屋で大嶺家の次男坊として生まれたベンビーこと大嶺栄は、沖縄の大自然に育まれながら健康優良児としてすくすく成長していく。
沖縄市の最北端にある北美小学校時代は、担任の先生をノイローゼにするほどわんぱくでありながら、常にテストは満点、授業を聞いただけで完全に理解するほどの異才を見せつける。
「大嶺家は独立心旺盛の暴れん坊の家系で、沖縄市の池原にて石油販売王となったんですが、天から選ばれし者として勉強ができる子が生まれてきた感じです(笑)。教科書を読んでたら、もう全部わかるんです。それで私立の中学に行こうとなって昭和薬科大学附属中学を受験しました。本当にがっつり勉強したのは、試験の1カ月前ぐらいです」
県内No.1進学校の昭和薬科大学附属中学校に合格
大嶺家始まって以来の遺伝子変異として誕生した神童・大嶺栄は6年生の5月から進学塾に通い始め、最初は高度な授業内容に面食らったが半年ほどでトップとなる。
周囲から輝かしい未来が待っていると期待された大嶺栄は、何の迷いも抵抗もなく中高一貫の県内No.1進学校の昭和薬科大学附属中学校を受験し、合格する。県内一の進学校ということで高校2年にはすべてのカリキュラムを終え、残り1年間は受験対策に入る。
「定期テストにしても一夜漬けでしたね。やりたいと思った仕事がひとつもなくて、将来の夢について作文書かされたり発表するのが苦痛で、親父の仕事について憧れてもないし、やりたいと思わなかったんですよね」
一度見たらたいてい覚えられる記憶力を持ち、本気で勉強すれば東大だって可能なのに、夢もなく沖縄から出るつもりもなかったため、「まあ、琉大だったら9月からやれば間に合うだろう」と夏休みも目一杯遊ぶ。夏休み前の模擬テスト800満点中390点だったのが、秋口からちょろっと勉強してセンター試験は610点。第一志望の琉球大学に楽々合格する。
たいした努力もせずに能力だけで過ごしてきたことが、のちに大きな足かせになってくるとは……。
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