NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目…弟・羽柴秀長が「秀吉の後継者」と目されるまでの"道程"をたどる

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「四国征伐」における秀長の活躍を振り返ります(写真:Josiah/PIXTA)
年明けから放送が始まるNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目を集めている羽柴秀長は、天下統一を目指した兄・秀吉を八面六臂の活躍で補佐し、一時は秀吉の後継者と目されるほどの存在だったといいます。
本稿では、そんな秀長に対する秀吉からの信頼が、いかに厚かったかがうかがえる「四国征伐」のエピソードについて、駿河台大学法学部教授・黒田基樹氏監修の『秀長と秀吉 天下を取った豊臣兄弟と野望に生きた戦国武将たち』から、一部を抜粋・編集してお届けします。

根来寺と雑賀衆の討伐

天正13年(1585)3月10日、秀吉は権大納言から内大臣に昇進し、天皇の御所に初めて参内している。

その後、秀吉は、小牧・長久手の戦いで信雄に味方した、紀伊の根来寺や雑賀衆、四国の長宗我部元親、越中の佐々成政、そして三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五ヶ国を領国とする徳川家康といった勢力の鎮圧を進めていく。

まず行われたのが、紀伊根来寺や雑賀衆の討伐だった。天正13年3月20日、秀吉は羽柴秀次を大将とする先陣を遣わし、翌21日には自らも出陣して紀州征伐を開始した。この出陣には秀長も従軍し「副将」を務めたとされる。

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