「応戦などできるものではない。逃げるのが精一杯だった」太平洋戦争の戦場で何があったのか?いま聞かないと戦争体験者いなくなる
こうした過酷な状況下で、谷口さんは7名の部下に対し「これからこの8人は家族だ。どんなものもすべて分け合っていこう」と告げたという。1匹の蛙を全員で分けたこともあったそうで、死亡率が約80%のフィリピン戦線においても、谷口さんの班は2人の行方不明者しか出さなかった。
助け合う意思が冷静な判断と知恵をもたらした
谷口さんは、仲間同士の助け合いが命をつないだのだと考えているという。彼は必ず生きて帰るという強い意志を持っていたが、そのためには食糧もなにもない山中で生き抜かねばならない。そして生き延びるためには、自分のことだけを考えるのではなく、メンバーで助け合うしかない。そんな意志が、絶望的な山中で冷静な判断と知恵をもたらしたということだ。
とはいえ、飢餓地獄の山中敗走は、いつまで続くのかわからない状態である。だとすれば絶望を覚え、こんな思いをするくらいなら死んでしまおうと考える人が出ても不思議ではない。
(84〜85ページより)
戦場から生還できた人たちは運がよかったからだけではなく、「生きたい。生きて帰らなければ」という強い意志があったから、運を拾うことができたのだろうと著者は推測している。しかしその一方、生きたいという願いが叶わなかった人も多いことだろう。
こうして命を落とした人たちの最期の叫びが「天皇陛下万歳」であるはずがない。(84〜85ページより)
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