「応戦などできるものではない。逃げるのが精一杯だった」太平洋戦争の戦場で何があったのか?いま聞かないと戦争体験者いなくなる
「坂道を歩いていると、向こうから小さな女の子を連れた白いエプロンがけの若い母親が下りてきて私とすれ違った。そのとき私は、その情景の平凡さや日常性に心が打たれ、これを守るためなら命をかけてもよいと思った」(79ページより)
死ぬことは覚悟していたものの、決して天皇陛下や国のためではなかったということである。これを、天皇陛下や国に対する否定論だと解釈すべきではない。「ここで死ななければならない」という状況に追い込まれたときには、「自分が死ぬことで大切な人の命が守れるなら」と考えるのは決して不名誉なことではないのだ。むしろ、人間としての本質的な感覚だともいえる。
なお、学徒出陣で入営した人のなかには、訓練中に命を落とした人もいたが、「訓練で死人が出てもなんの問題にもされなかった」(岩井忠熊さん、大正11年生、95歳)という。
いまの日本において、自衛隊の訓練で死人が出て問題化しないということはあり得ない。だが戦中の日本では、戦場で死ぬのも訓練で死ぬのも同じことだと、自暴自棄的な目で人の生死を見ていたのだろうか。
戦争で生き残れるかは運次第
戦争で生き残った人に共通するのは運かもしれない。しかし単に幸運に恵まれたというだけでなく、「生きたい」「生きなければ」という強い思いがあったことも事実であるだろう。



















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