ここで一つの疑問が湧く。いくら娘の家族が大変な状況だとしても、そこまで急いで移住する必要があったのだろうか。
義憲さんは「そんなに慌てて売る必要があったのかと思うかもしれませんが、あのときに売らなかったらずっと愛知にいたかもしれません。自宅の前には叔父の家があったのですが、叔父の死後、東京のいとこ(叔父の息子)が処分に苦労する姿を見ていたので、私には息子に大変なことをやらせたくないという思いもありました。
また、もし私が先に亡くなったとしたら、妻だけで愛知の田舎に住み続けることができるのかという不安もありました」と話す。
東京移住の嬉しい誤算
こうした義憲さんの敏江さんに関する懸念は、実は美由紀さんも持っていた。敏江さんがたまに東京に来ると、「(記憶や行動などが)以前よりかなり抜けてないか?」と心配になることがたびたびあった。長男の大輔さんともそのような心配をしていた。しかし、東京に移住してからはそんな心配は一気に消えた。

美由紀さんは言う。「母は東京に移住してから、水を得た魚のように頭や身体のキレがよくなりました。孫やいろんな人と話す機会が増え、頭が冴えていったようです」。
敏江さんも「東京で人と関わるようになって本当に元気になりました。実は私もじっとしていられない性格なので、東京に住みたかったのです。子どものそばに来られたことも本当によかったですし、元気をもらえます」と話す。
敏江さんは77歳の今も、百貨店などで接客のパートとして働いている。「お客さんに『元気だね』と言われるとこちらも嬉しくなり、また元気になります。今も月に6日ほどやっていますが、80歳までは続けたいです」。
70歳代での東京移住によって、人生の新たなステージへと進んだ織田夫妻。人生楽しいのはむしろこれから――夫妻を見ていると、人生のリスタートに期限や制約などないということを強く感じさせられる。
後編『「夏の3ヶ月は北海道でキャンプ生活」「60歳前後から人生が一気に充実」"70歳以上"で愛知から東京移住した夫婦の理想的なリタイア生活』では、織田夫妻の”羨ましすぎる”リタイア後の生活などを聞いた。
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