今は長男の大輔さんも都内に住み、家族皆がすぐに集まれる環境にあるが、ここ5年ほどは織田家にとって激動の時期だった。その直接のきっかけとなったのが、美由紀さんの夫に病気が見つかったことだった。
病気はコロナ禍が始まったばかりの2020年4月に発覚した。フジテレビの名アナウンサーとして知られ、後にフリーに転身して人気者となった故逸見政孝さんと同じ進行性のスキルス胃がんだった。
逸見さんは1993年9月、当時珍しかった病気を公表する会見を開き、そのわずか3カ月後の12月に48歳の若さで亡くなったことで世間に大きな衝撃を与えた。それだけに、織田家にもたらされたショックの大きさは計り知れないものがあった。「今後どうなるのか」。家族で話し合いを重ねた。
75歳までの決断
織田さん夫妻は1972年に結婚し、その直後に愛知県北西部に家を建てた。それ以来約50年間その家に住んできたが、義憲さんには近年、「老後の不安」が頭をよぎっていた。
「1993年、私が48歳のときに寺の住職だった父が亡くなりました。私だけでなく、妻も名古屋出身で私の姉二人も名古屋にはいますが、私たちの息子や娘は東京です。ですので、年老いたとき、あるいは夫婦のどちらかが亡くなったときにこの家はどうなるのかという思いを持っていました。
私は70歳になったとき、妻に『今後どうする?』という問いを投げ、子どもがいる東京への移住を提案していました。75歳までに決断したいと考えていました」


妻の敏江さんは当初、全く引っ越す気がなかったという。長年住んだ自宅近くには近所に知り合いも多く、わざわざ東京に引っ越す理由が感じられなかったからだ。
「妻も私の転勤時に東京に住んだことがあり、違和感はなかったと思いますが、ふんぎりがつかない状態が続きました」(義憲さん)。
しかし、美由紀さんの夫は病気発覚からわずか10カ月後の2021年2月に亡くなった。美由紀さんはシングルマザーとして、当時高1、小6、小2の3人を育てなければならなくなった。
「シングルマザーになっても生活できないほどではありませんでしたが、生活は相当に大変になる。特に相続関係の手続きは手間もお金もかかる。私は元銀行員ということもあり相続関係の手続きについては詳しかったので、私が娘に代わってほぼすべてやりました」(義憲さん)。
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