競馬である。
競馬の将来も、絶望ではないが、衰退しか見えない。
ギャンブルとしての競馬が生き残るためには?
現在の一時的ブームが過ぎれば、世界のギャンブルのトレンドに習って、衰退するだろう。理由は単純で、スポーツベッティングという強力なライバルが、ギャンブルの世界を席巻しているからだ。日本はいまさらIR(統合リゾート)を始めるらしいが、世界ではカジノがどんどんつぶれている。今さら始めるなど、狂気の沙汰だ。
なぜカジノがつぶれているかというと、コストが高いからであり、それに尽きる。カジノの場合は、オンラインカジノというさらに強力で単純な仕組みのライバルに勝ちようがないからだ。場合によっては違法、脱税などが流行を加速している部分もあるが、本質的には、運営コストが圧倒的に安い、ということに尽きる。
わざわざラスベガスに行く必要もないし、運営側も、ディーラーを雇う必要もないし、彼らの信頼性をチェックする必要もないし、そもそも箱を建設する必要もない。もちろん、華やかなカジノというパーティの舞台に行きたい人もいるだろうが、それはギャンブルがしたいのではなく、エンターテインメントを求めているだけであり、ギャンブルを純粋にしたいのであれば、オンラインに圧倒的に優位性がある。
競馬というギャンブルは、馬が走るという美しさ、伝統格式をヴィジュアル的にも概念的にも楽しむという面が大きく、それがあまりにも魅力的であるために、多くの人がはまっている、という面はある。
しかし、ギャンブルとして考えると、まどろっこしい。競馬を愛する人と、競馬でギャンブルをしたい人とは別なのだ。オンライン投票ができるようになって、地方競馬は息を吹き返したが(競艇も競輪もだが)、そう考えると、競馬というイベント自体はまどろっこしく、コストと手間だけかかるという問題は今後、さらに大きくなるだろう。競馬では騎手のスマホ問題があるし、厩務員のストライキもあり、競馬学校での人材育成、騎手の養成など、めんどうなことばかりだ。主催者が興行するのに、コストも仕組みもかかりすぎる。
一方、スポーツベッティングは、非常に合理的だ。「toto」でサッカーもバスケもやっているが、くじの主催者はなにもやる必要がない。サッカーは、賭けの世界と無関係に、多額の収益をスポーツショウとして上げ、球団のオーナーにも富豪が競い合ってなりたがる(日本は違うが)。競馬は八百長という懸念(過大な懸念ではあるが)があるが、これだけスポーツベッティングが盛り上がっても、昔のように八百長防止のことは考えなくて済む。ギャンブルの胴元は、さらに無関係で、八百長防止が必要だとしても、それはスポーツ団体の責任である。
しかも、競馬はファン層が限られているのに対し、野球もサッカーもそのほかのスポーツも、誰もが大好きだ。好きでわかりやすいゲームに関するギャンブルの方が入りやすいのは自明であり、大相撲の力士のギャンブル問題も、野球賭博でなく競馬をすればいいのに、という論評は、愚かすぎるコメントであり、競馬は難しいが、野球なら知っているからなじみやすい、賭けやすいのである。
さらに、昨今の日本競馬のファンは、データ分析などが発達しすぎて、経験の長い私からしても、彼らマニアには予想では勝てない、とさじを投げている有様で、いまからギャンブルとしての競馬のファンになるのはハードルが高すぎる。
長くなってしまったから、今回は結論だけ書いておくと、日本競馬の成功は、JRA(日本中央競馬会)が馬券販売を独占し、かつその馬券が世界でもたぐいまれなレベルで売れたことにより、世界一の競馬として発展したのであるが、その持続性は危ういということである。
そのためには、スポーツとしての魅力を高めて、スポーツとしての競馬の価値が社会の中で高まるしかない、ということだ。そして、そのための手段としては、「大谷フィーバー」に見るように、日本のサラブレッドが、世界的な大スターになることが一番である。ということで、次回のこの欄では、フランスの凱旋門賞の話をすることになるだろう。
(※ 次回の筆者はかんべえ(双日総研チーフエコノミスト・吉崎達彦)さんで、掲載は9月27日(土)の予定です。当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)。
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