朝ドラ【あんぱん】やなせたかし、バイキンマンを誕生させたワケ 子どもたちの間で『アンパンマン』がじわじわ人気に
「つまり光と影ができたんです。光を描こうとすれば、影を描かなくちゃいけない。だからバイキンマンに力を入れて描けば、アンパンマンに自然と光が当たるわけです」
絵本の評論では完全にスルー
ミュージカルにはなったものの、アンパンマンは相変わらず「知らない人は知らないが、知ってる人なら知っている」状態で、大きく注目されることはなかった。
その一方で、編集業には手応えを感じていたようだ。『詩とメルヘン』のほかに、イラストレーターを育てる『イラストレ』や、「こどもと、こどものこころをもつおとなのためのえほん」をテーマにした『いちごえほん』も創刊。3冊の雑誌の編集長を務めたというから、すさまじい。『いちごえほん』では、1976年から1982年にかけて『アンパンマン』も連載している。
やなせが編集業で忙しくしているうちに、『アンパンマン』の人気は子どもたちの間でじわじわと広がっていく。
講演の仕事で地方へ行けば、幼稚園の先生から「うちの園ではあんぱんまんが大評判です」と言われたり、図書館では『アンパンマン』がいつでも貸し出し中であるという話を耳にしたりするようになった。
『アンパンマン』が絵本の評論には一度も取り上げられていないなかで、子どもに認められたことが、やなせにとっては大いに励みになった。
「最初に認めたのは、3歳から5歳ぐらいまでの幼児だった。まだこの世に生まれたばかりで、文字もほとんど読めない、言葉もおぼつかない、よちよち歩きの赤ちゃんたちである。なんの先入観もなく、欲得もなく、すべての権威を否定する、純真無垢の魂をもった冷酷無比の批評家が認めた」
やなせはのちにラジオでも「冷酷な読者を相手に仕事をしているから、いつもまあ真剣勝負っていうか、批評家よりももっとさらに怖いですね」と話しており、子どもの読者をいかに惹きつけるかに腐心していたことがわかる。
そして『アンパンマン』はアニメ化によって、やなせが想像もしなかったような、飛躍を遂げることになる。
(つづく)
【参考文献】
やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン なんのために生まれて、なにをして生きるのか』(PHP研究所)
やなせたかし『何のために生まれてきたの?』(PHP研究所)
やなせたかし『アンパンマンの遺書』 (岩波現代文庫)
梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』 (文春文庫)
真山知幸『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら