「ホストを描き、初回から異例のテロップ」「イロモノと思わせて純愛」 ドラマ『愛の、がっこう。』が波紋を呼ぶも"名作"だといえるワケ
ファッションモデルもやっている長身のアイドル・ラウールのよさを引き出す演出は、ベテラン・西谷弘だ。大ヒットドラマ『昼顔〜平日午後3時の恋人たち〜』(2014年)で斎藤工を大ブレイクさせた名ディレクターである。
ちなみに脚本も同じ井上由美子で、『愛の、がっこう。』は名作を生んだ2人のタッグなのである。
『昼顔』はW不倫ドラマで、当時、賛否両論があり、不倫を美化しないように配慮されていた。『愛の、がっこう。』にもその配慮が効いていると思う。あれから11年、ますます配慮が必要になっていることだろう。
カヲルが読み書きできない設定もその配慮の1つかもしれない。彼の背景は、識字問題の根深さを視聴者に考えさせるが、禁断の恋愛ドラマを盛り上げる装置に使用しているとも受け取られかねない。だが、『昼顔』の脚本家とディレクターであれば、熟慮されているという信頼はある。

愛実とカヲルの関わりに見た、ある名作の一節
愛実とカヲルの関わりに、たとえば太宰治の短編『待つ』の主人公が待ち続ける「もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの」を筆者は見る。
この小説は主人公が何を待っているのか、明言されず、読者の想像に委ねられている。それこそ国語力が低下したら、読むのが難しいかもしれない小説だ。
でもそこに書かれる「ぱっと明るい、素晴らしいもの」を、テレビドラマの視聴者は、いつも待っているのではないか。
ほんの少しのぱっと気持ちを明るくさせてもらえるもの。それを井上由美子と西谷弘、木村文乃とラウールは『愛の、がっこう。』で見せてくれようとしている。そんな気がする。

お別れデートを目撃されて、高校のPTAに責められ、愛実は二度とカヲルと会わないという念書を書かされる。でも、カヲルが大怪我して入院していると知って電話する愛実に、カヲルは元気で店に出ていると嘘をつく。嘘に気づく愛実。
2人の住む世界は社会的に分断されている。格差が広がる社会の中で、ぱっと明るい、素晴らしいものはまだ見つかるだろうか。
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