『仁義なき日本沈没』を書いた春日太一氏に聞く 身につまされる映画史を描きたい
東宝と東映の戦後史を、東宝争議や東映誕生時の苦境から60年代の斜陽期、そして73年のヒット作、東映の『仁義なき戦い』と東宝の『日本沈没』をクライマックスに描く。この映画を境に、二本立てが中心の興行から大作、さらに自前から外部のプロダクションを活用し、それを系列映画館に流すフリーブッキングに東宝はシフトして成果をおさめる。一方の東映は、テレビの時代劇製作で、人員を維持していく。日本映画の「昔」と「今」が分けられるというのだ。特に60年代の斜陽期を中心とした経営陣や製作と管理の軋轢など、「身につまされる」エピソードが満載だ。筆者は時代劇にも詳しい、77年生まれの新鋭だ。
--73年が軸という視点は独特ですね。
東映対東宝でみれば戦後映画史が概観で語れるのではないかと思いました。もともと2社の揺れ動きというのが頭の中にあって、年表を整理してみたら、1973年でびったり端境期として浮かび上がってきました。本の構成を考えれば、この年に公開された「仁義なき戦い」と「日本沈没」をクライマックスにもってこられるのではないかと。
そこで、東宝の松岡会長に取材に行ったところ、さらに重要な証言がいただけた。最初は何となく2つのヒット作があったくらいのイメージだったのが、松岡さんの口から、「『日本沈没』で東宝はやり方を変えた」と。そこで、松岡功という人間を後半の主人公にもっていこう。彼が何故変えたか、変えたことでどうなったか。そういう流れにしました。
当初は日本沈没がヒットしたで終わる予定でしたが、松岡さんの話をうかがい、関係者の話も集めると、実はここから先が大変なことになっていることに気付きまして。それで『日本沈没』以降も描かないといけないと考え、もう一回調べ、取材をしなおすことにしたんです。ここに1年かかりました。
組合の動きは細かく追っていましたが、東宝争議でつぶされた組合が再結成した理由は石原慎太郎が絡んできて面白い話なんですが、ページ数の関係で泣く泣く削りました。実際、読者の感想も、面白いんだけどもっと読みたいというのが多いですね。
ただ、このテーマでは、あまり細かく書きすぎるとわからなくなる。映画史をあらかじめ分かっていない読者はついてこれない可能性がある。もちろん、マニアの人からすると、何であれが書いてないんだという声も出てくる。あそこは端折りすぎではないかと。それは覚悟のうえです。本当にメッセージを届けたいのは、そこじゃない。むしろ、東洋経済とかを読んでいる人で映画に興味がある方に読んでもらいたいんですよね。
--映画会社の経営の苦労が伝わってくる。
映画に関係ない人が読んで、「身につまされる話かどうか」。それを書く上で第一に考えましたし、編集者の人に読んでもらう際のチェックポイントにしてもらいました。身につまされなかったら失敗だから、書き直すと。だから、「いやー、身につまされました。これは出版界の話そのままだ」と言われたときは、「よし、これでいける」と思いましたね。
どこの社会でも、みんな同じ苦労をしているんだと思います。日本の縮図は映画界にもあるんだと。ほかの本著書もそうですが、手に取った方が身につまされることで共感を持っていただけるというのを狙っているところはあります。
だから、(60年代の)斜陽期をいかに生き抜いたかまで描きたかった。いま、日本は元気ないし、国自体が面白くないと思うんですね。そこから抜け出すためのヒントは過去にある。そんな想いを込めて書きました。
--73年以降、東宝は配給・興行を中心とした会社になっていきます。
現在の制作の外注化が一般化する流れの起源がそこですね。ただ、東宝は、敗戦直後の争議の頃からそこを狙っていた。だからこの本は45年から始まっています。
馬場和夫さんという現在80歳で東宝争議でも闘った今回の大事な証言者の方からも、ここをスタートにもってきているのは正解だと仰っていただけました。東宝争議からすべては始まっているんだと。実際、争議の問題があって、組合と会社の関係があって、そこから全部始まっている。現場と管理の軋轢ですね。