25歳で実家が火事、29歳で重度のうつ病→「どん底の男」が《1日1万個のコッペパン》を焼く「人気パン屋のオヤジ」になるまで。"壮絶な半生"に迫る

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「売り切れました」という表記が見える(筆者撮影)

初日に用意した600個のコッペパンは、開店から数時間で完売。まったく想像していなかったお客さんの反応を見て、「広告の仕事と半々でやろう」という考えを改めた。

「俺みたいな不器用な人間に、あれもやります、これもやりますはできない。中途半端な仕事をしたら、大変なことになる。俺は今日からコッペパン屋のオヤジになる」

今も忘れられない少年

初日以降も吉田パンの行列は絶えず、連日完売。開店当初、1日に用意できるコッペパンは600個だったが、一度に作ることができるのが200個で、7時30分にオープンして売り切れると一時閉店、その後、パンを用意して12時に再オープンすると200個がすぐに売り切れてまた閉店、15時に再オープンしてすぐに完売……ということが続いた。

半年後、「商売人として、営業時間中はちゃんと店を開けていられるようにしなければ」と考えた吉田さんは、それまでスタッフの手作業だったパンの生地の分割を自動化するため、新しい機械を導入する。

作りすぎれば、余るかもしれない。日持ちしないパンだから、売れ残りは廃棄するしかない。どれだけ売れるのか、売れ続けるのかわからないなかでの決断だったが、その心配は杞憂だった。生産量を1000個まで増やしても、作っただけ売れた。妻ともうひとりだけだった社員も、2年目には6人になった。

この頃はまだ吉田さんも店頭に立ち、パンを売っていた。ある日の朝、まだ小学校にも上がっていなそうな幼い少年がひとり、店を訪ねてきた。握りしめていた200円でたまごサンドを買うと(当時は200円だった)、店の外に置いてあるベンチに腰掛け、食べ始めた。気になった吉田さんは「どうしてひとりでいるの?」と尋ねた。

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