25歳で実家が火事、29歳で重度のうつ病→「どん底の男」が《1日1万個のコッペパン》を焼く「人気パン屋のオヤジ」になるまで。"壮絶な半生"に迫る

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その数カ月前、夫婦でパン作りを学ぶと決めたときから、店舗探しもスタートしていた。

子どもが1歳だった当時、夫婦でお店を始めるには職住近接と親のサポートが必要だった。そこで、吉田さんの両親を呼び寄せて、2度目の起業をする以前から住んでいた亀有に店を開くことに決めた。認知症を患う父親を介護していた母親にとっては負担が増える話だったが、息子の船出に覚悟を決めて、同居を受け入れてくれた。

広告を仕掛けられなかった広告屋

2013年4月26日、福田さんに会ってからわずか半年後に吉田パンのオープンを迎えた。その日、吉田さんは目を疑った。開店前から70人ほどが行列を作っていたのだ。

「吉田パン」(筆者撮影)

広告プロモーションの仕事をしていたこともあり、後々、「どうやって仕掛けたの?」と聞かれるようになった。しかし、吉田さんに思い当たる節はなかった。お金をかけたのは、開店の数日前、新聞の折込チラシを入れたときだけ。しかもそれは、「亀有の人間じゃない人間が亀有で店をやらせてもらうんだから、地域の皆さんに挨拶しなきゃ」という気持ちのチラシで、「よろしくお願いします」という当たり障りない内容だった。

唯一考えられるのは、オープン前に取材を受けた新聞社の岩手日報が、「東京でも福田の味」と報じたこと。この記事が、福田パンの知名度が抜群の岩手を震源地にネット上で広く拡散された。しかし、それだけで開店初日にこれだけの行列ができるとは思えず、今も吉田さんにとっては大きな謎のひとつだ。

「半年前までパンを作ったこともない人間がパン屋になると、購買を促すような広告を打つとかお客さんの導線作りとか、そんなことできないんですよ。服や広告の仕事と違って、パンという体のなかに入れてもらうものを商売にするって、身震いするぐらい怖いことですから。無我夢中でパンと向き合って、広告屋が広告を仕掛けなかったら、お客さんいっぱい来たってことだと思います」

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