25歳で実家が火事、29歳で重度のうつ病→「どん底の男」が《1日1万個のコッペパン》を焼く「人気パン屋のオヤジ」になるまで。"壮絶な半生"に迫る
「お母さん寝てるから、これで食べてきて、今日の朝ごはんって言われた」
少年の言葉を聞いて、胸がギュッと締めつけられた。その少年を見かけるのは初めてだったし、たまたまその日、お母さんの具合が悪かったとか、残業明けで起きられなかったとか、なにか事情があるのかもしれない。自分の勝手な想像で少年を憐れんではいけないと思いながらも、吉田さんは改めて気を引き締めた。行列ができて、毎日たくさんのパンが売れても、お客さんにとっては大切な一食なのだ。
吉田さんは、今もひとりでコッペパンを食べる少年の姿を忘れられない。
心を動かしたルミネ社長の言葉
吉田パンは1年目からテレビ、雑誌、ウェブ、ラジオなどでも取り上げられ、その人気ぶりを聞き付けたデパートや商業施設からの出店依頼が殺到した。しかし、吉田さんは「パンを作れない」という理由で断り続けた。
唯一の例外が、ルミネだ。3年目の2015年、北千住店の3階に期間限定で出店し、17時から18時半まで出張販売。わずか90分で850個のコッペパンが売れる大盛況となり、翌年から常設で店舗を開いた。なぜ、ルミネにだけ出店することを決めたのだろうか?
「当時、北千住店の支店長をしていた方がうちの店に来てくれて、ふたりでコッペパンを食べながら、ざっくばらんにいろいろと話をさせてもらいました。その後、北千住にある天空劇場というホールでルミネの社長だった新井良亮さんにお会いする機会を作ってもらったんです。そのときに、新井さんが『吉田さん、一緒に老舗を作ろう』と言ってくださって、すごく嬉しかったんですよね」
吉田さんは、日本橋倶楽部という経営者、実業家が集う一般社団法人に加入している。1890(明治23)年設立の社交クラブで、創業から300年、400年、500年という老舗企業の社長も名を連ねる。吉田パンを開業して1年ほど経った頃、日本橋倶楽部の会合に出た吉田さんは、「100年、200年続くコッペパン屋を目指しています」と話した。すると、隣席にいた先輩経営者がまじめな顔で言った。
「社長、ちょっとおかしいんじゃない? 普段から300年、400年、500年の会社を経営している先輩たちと一緒にいて、100年、200年って目標が小さくない? 400年はやろう」
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