「発言が被害者ヅラ」「謝罪の言葉はないのか」と批判殺到…。広陵高校「校長の逆ギレ会見」が招く"最大の危機"

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(3)行為そのものは傷害であり、人権侵害である

一部の報道によれば加害者は4名であり、野球部の組織的な犯行とみなすかは議論がわかれる。また、対外試合禁止処分は、おおむね違反部員が10人以下程度とされており、基準以下といえなくもない。しかし一般人からすると、人権侵害をする人数は何人であっても大きな罪に映る。

今回の事案がほんとうであれば、傷害である。犯罪者は試合の出場にふさわしくない。その意味で、連帯責任ではなく該当部員を出場停止にしていれば大きな問題にならなかっただろう。そもそも人権蹂躙をしてまでも出たい大会はあっていいのだろうか。これからもどんどん内部告発で浄化していくことを望みたい。

もう1つの教訓は…

(4)この一件で志望者数が激減する可能性

高校の立場からすれば、「間違っているのは世間であり、批判が筋違いだ。だから、会見の場で被害側に謝罪する必要はない」と思っているかもしれない。

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ただ、私たちは現実に生きる人間である。社会や世間が間違っていても、対峙せねばならない。高校の入学志望者数が減少する可能性がある。おなじく入試を“辞退”しようと考える受験者は少なくないだろう。

今回話題になった高校は私立高校で、生徒たちの授業料や、志望者による受験料などで運営されている。「傷害を、隠蔽する体質の学校だ」と世間から思われた今、どれだけの人が志望して受験するかはわからない。守るべきものを守るために辞退したのではない。守れなかったものを隠すために辞退したのだ、と思われては学校運営に支障をきたすということだ。

一度醸成された“隠蔽の印象”は長く尾を引くものである。価値としていえば、広陵高校は今後の暴力事件の抑止として作用するのは間違いない。ネット部「炎上甲子園」で優勝した事実は、おそらく全国の野球部に教訓を与えたはずだ。

次の甲子園は、タイムラインよりもグラウンドを白熱させたい。

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