学校側が辞退の理由に「ネットからの誹謗中傷からの生徒保護」を前面に押し出したことは、注目に値する。そして、さらに炎上した。繰り返すと、私は不確定の情報をもとに実名をさらして批判はしないほうがいいと思う。ただ事実として、今回の会見はさらに炎上を重ねた、ということだ。
その理由は、「危機の原因である初動対応の不備、組織の体質を説明せずに、自らの学校を『過激な世論の被害者』として描き出したいのだな」と世間が感じた点にあった。私は会見を視聴しはじめたときに「あれっ、被害側への謝罪がないのか。これは燃えるだろうな」と感じてしまった(なお同校は「教育は愛なり」の精神を大切にしているという)。
どこか、記者会見のための、戦略的な危機管理術と思ったひとが多かっただろう。どこか責任転嫁の構図を嗅ぎ取ったひともいただろう。今回の辞退のきっかけが、内部の暴力と軽視した組織の判断だったのに、“外部からの反応”から逃れるためとしたのだ。
そういったものがにじみ出た結果、「自分たちに責任はない」と視聴者に感じさせた。それどころか、「逆ギレか」といった論調も生まれてしまった。
私たちへの教訓
ここから教訓を引き出してみたい。
(1)隠蔽を世間は絶対に許さない
世間がもっとも許さないのは、不正行為そのものより、なんとか隠そうとする態度なのだろう。3月に「厳重注意」になった暴力事件は、その時点では大会出場を揺るがす問題にならなかった。SNSで隠蔽疑惑が告発されたあとだった。
なお、高校と同時に、高野連と大会主催者である朝日新聞社も会見を開いた。おなじく炎上している。それも同じ理由だったのではないか、と私は考えている。彼らは学校の判断を受け入れ「学校として一つのけじめとして出場辞退を選ばれた」とした。

新たな事実が明らかになったわけではない。とすれば、大会出場前に辞退を伝えるべきだったということになるはずだ。不思議な会見だった。
もちろん、本音では「もともと、出場していいんじゃねえか、と思っていたけど、世間が騒いでいるから、辞退もやむなし、としかいえませんなあ」というものだろう。加害事案はさほど問題と感じていなかったはずだ。おなじく隠そうとする態度がマイナスの評価を与えたのだ。
(2)不祥事対応に「完璧」はないが「最大限か」は重要だ
高校側は、早い段階で内部の再発防止策を実施した。しかし、SNS上で追加の告発情報が浮上するたびに、後追いで調査を実施した。もしかすると学校側に同情するひともいるかもしれない。また、すべての事案に学校側が完璧な対処をすることは難しいと語るひともいるだろう。人員数の不足もあるかもしれない。
しかし、おそらく社会から求められているのは「そのタイミングで最大限の、できることをやったか」ということだ。その対応が完璧だったかは問われない。ただ、当時の体制(態勢)で、聞く側も納得するような、できることはすべてやったか、が問われている。
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