しかし、本格的にビーフンが日本の家庭で食べられるようになったのは、 第2次世界大戦後。東南アジア各国から引き揚げた日本人が、現地で親しんだビーフンの味を忘れられず、食べ始めたのがきっかけだった。特に九州地方は東南アジアから引き揚げた人が多かったため、今も関東の約2倍の量が売れている。
続いて、ビーフンが食べられているのは関西圏だ。そこに大きく影響しているのが、1950年に神戸に創業し、75周年を迎えるケンミンの存在である。
ケンミンは1980年代、シュールなCMでかなりの存在感を放っていた。漫才師の宮川大助・花子さんの自宅に男から電話がかかってきて、「次の言葉を5人に伝えろ」の後に、「ケンミンケンミン焼ビーフン」という言葉を発するもの。「ケンケンミンミン焼ビーフン♪ たまに食べるとおいしいよ♪」という歌声をバックに、ひたすら中華鍋の前に行列する人々の皿に焼ビーフンを入れる、というバージョンもある。とにかくインパクト大で、「ケンミンの焼ビーフン」という言葉は筆者を含め、人々の記憶に刻まれた。
その放送が関西中心だったことと、ケンミンのお膝元で元々認知度が高かったことから、ビーフンの食文化が根付いたようだ。

ケンミンが行っている認知度調査でも、九州、関西ではビーフンを8割の人が知っているが、東京では半分が「ビーフンって何?」という状態だという。
2023年に設置した、東京都目黒区、港区の駐車場内の自動販売機の売上高が芳しくないのは、それも一因だったのだ。

「乾麺」の焼ビーフンの認知度が高すぎる問題
ビーフンの食文化には、もうひとつ課題があった。それは「冷凍食品の焼ビーフンの認知度が低い」ことだ。ビーフンと言えば乾麺での販売が最もポピュラー。全国どこのスーパーに行っても並んでいるのだが、冷凍食品の焼ビーフンは、全国のスーパーの「半分行くか行かないくらい」にしか並んでいない。
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