CAさんが「スッチー」と呼ばれ、水天宮前で“出国手続き”ができた時代があったーー日本の玄関口≪成田と羽田≫の歴史を”アナログ写真”で振り返る

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成田空港出発カウンター(1986年4月7日、吉野純治撮影)
この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年1989(昭和64・平成元)年からすでに36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。
このほど、今年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。
第15回となる今回は、「成田と羽田」の写真を紹介する。

海外旅行ブームで賑わう90年代の成田空港

1980年代後半から90年年代の成田空港を写真で見ると、とにかく海外旅行客で賑わっている。

成田空港の開港は1978年。写真が撮影された80年代後半当時は、成田空港に羽田から国際便が移転して10年前後という時期だ。

このバブル時代には、空前の海外旅行ブームになり、円高の影響も相まって海外旅行者数は増加。1990年に日本の海外旅行者数は1000万人超え、1995年には1500万人超えとなった。

成田空港、到着ロビーでごった返す帰国客(1987年11月11日、望月撮影)
成田空港
成田空港、外国ツアーの団体客(1987年11月11日、望月撮影)
【写真47枚】1970年代から現在までの「成田と羽田」をアナログ写真で振り返る
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