CAさんが「スッチー」と呼ばれ、水天宮前で“出国手続き”ができた時代があったーー日本の玄関口≪成田と羽田≫の歴史を”アナログ写真”で振り返る

✎ 1〜 ✎ 12 ✎ 13 ✎ 14 ✎ 15
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

海外旅行みやげの定番は「ジョニ赤」「ジョニ黒」

免税店のショッピングバッグには、「ジョニー・ウォーカー」や「LARK」といった、今や懐かしいブランド・マークが見られる。

昭和の頃まで海外旅行みやげと言えば、スコッチ・ウイスキー「ジョニー・ウォーカー」が人気だった。赤いラベルの「ジョニ赤」、黒いラベルの「ジョニ黒」があり、熟成年数が長くて高価な「ジョニ黒」の方が断然ありがたがられていたことを思い出す。

成田空港
成田空港(1985年1月23日、吉野純治撮影)

90年代の“スチュワーデス”たち

90年代のJALの“スチュワーデス”の制服は、現在とはかなり異なるデザイン。80年代にスチュワーデスと一般的に呼ばれていた客室乗務員がCA=キャビンアテンダントと言われるようになったのは、90年代なかばから。

JALでは1996年からスチュワーデスという呼称を使わなくなり、ANAでは1987年から客室乗務員という呼称が使われるようになったのだそうだ。

JAL国際線スチュワーデス
JAL国際線の客室乗務員(1993年3月、吉野純治撮影)
JAL国際線スチュワーデス
JAL国際線の客室乗務員(1993年3月、吉野純治撮影)
次ページはこちら
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事