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ライフ #東京アナログ時代

CAさんが「スッチー」と呼ばれ、水天宮前で“出国手続き”ができた時代があったーー日本の玄関口≪成田と羽田≫の歴史を”アナログ写真”で振り返る

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1987年の成田空港の写真には、海外に修学旅行に行く高校生らしき団体も写っている。

この頃から私立の高校には、修学旅行に海外に行く例も見られるようになり、90年代に入ると国際感覚を養うことや、交流の機会を得るという目的で、ハワイ、アジア各地、アメリカ、場合によってはヨーロッパなどに出かける学校も増えていった。

成田空港、修学旅行で海外に行った高校生たち(1987年11月11日、望月撮影)

都心から離れた「成田」に国際空港ができた経緯

成田空港が「新国際東京空港」という名前で開港したのは1978年。それまで羽田に離着陸していた国際線は移転し、海外旅行や海外出張の際には、遠路はるばる成田まで飛行機に乗りに行かなければならないことになった。

開港当初の成田空港には、現在のようにJRの成田エクスプレスも京成スカイアクセスも、リムジンバスも直結している状態ではなく、空港の外での検問を経ないと構内に入れない状態が開港後も長く続き、世界主要国の空港と比べても、ただでさえ遠い上に、利便性に問題ありとされていた。

なぜ都心からかなりの遠隔地にある千葉県成田に新東京国際空港が建設されることになったのかは、今でも成田空港へと往復する多くの人々が持つ疑問だろう。それには複雑な経緯があった。

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