「歌を聴いていると気に障る」「暗いヤロウだ」とアンチが湧いた過去…それでも《さだまさし》が「1兆人に1人の存在」と絶賛されるワケ
さだの歌の中でもインパクトが強いのは、やはり『防人の詩』。
映画『二百三高地』の主題歌だったため、彼も「右翼」と非難されてしまったのは有名だが、映画の音楽監督・山本直純から「戦争の勝った負けた以外の人間の小さな営みを、ちゃんと浮き彫りにしていきたい。そういう映画なんだ」と伝えられ、引き受けたという背景がある。
なかなか歌ができず、山本監督のマネージャーにせっつかれ、1番を譜面なし、カセットテープに録音して持って帰ってもらったという。かなり切羽詰まった状態で出来上がった曲なのだ。
当時小学校高学年だった私にとっては「死にますか」を繰り返す歌、という印象で、最後まで聴いていなかった。
その何度もの「死にますか」の先に、「去る人があれば来る人もあって 欠けてゆく月もやがて満ちて来る」の歌詞がくることに気づいたのは、大人になってからである。
さだまさしの歌は、途中で聴くのをやめてはいけない。後半に救いが顔を出す。

ディスりながらも才能を認める人が多数
彼が大変だったのは、1980年代半ばごろまで「さだまさしが嫌い」とテレビやラジオで公言する著名人が多かったことである。
「Yahoo!ニュース」のインタビュー企画「RED Chair」で彼は、「作詞」から連想するワードとして「命がけ」と回答していたが、何度も批判にさらされた過去を考えると、けっしておおげさではない表現だろう。
ただ、「嫌い」という人たちも、そう言いながら「認めざるをえない」という複雑な感情もあったようだ。
さだを「嫌い」だと事あるごとに言っていた吉田拓郎は、『雨やどり』は傑作と評価。
泉谷しげるは「さだまさしとは友だちになれねぇだろうな」から「コイツ、歌うまいじゃないか」、「暗いヤロウだ」から「よく考えたら、暗い歌が歌える奴は明るいんだな(笑)」と変わり、共に被災地に赴き、コンサートをする仲となっている。
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