「面倒くさい大人」と思われてない? 若者と話すとき意識しておきたい「老害」と「イヤ汁」の視点。《語る快感》に浸っていないか要注意!
相手が同年代だったら、「ああ、自分語りが好きな人なんだな」で済むかもしれない。でも相手が若者だったら、それはもう立派な「老害」発言と見られるでしょう。つらい。
また、私自身も含めて、人は誰でも自分の話をしたい生き物です。だからこそ、「ちょっと話したい」その気持ちはよくわかります。でも若者相手のときこそ、そこを、一回、グッと飲み込む力が大事なんですよね。
たとえば、学生側が「ぼく、いま就活中なんです」と言ってきたとき、「へー、私のときはね」と続けそうになるのを飲み込んで、代わりに「どんな感じ?」「どこを受けてるの?」「困ってることあるの?」と、すかさず“質問側”にまわる。
これはもう、習慣にするしかない。訓練です。
今の学生さんたちは、いわゆる、コスパ・タイパ世代。無駄なことはしたくないし、答えがないことに時間を使いたくない。だからこそ、“じっくり話を聞いてもらう”という経験が、思っている以上に少なかったりします。
そんなときに、「ちゃんと話を聞いてくれる大人」の存在は、それだけで記憶に残ります。老害と思われるより、安心して話せる相手と思われるほうが、自分の存在意義もある。
というわけで、大人が若者と話すときの基本は、過去の経験や武勇伝は、よほど聞かれない限り“黙っておく、聞き役に徹する”がちょうどいい、と私は思っています。
若者との会話は「イヤ汁」も気をつけたい
そしてもうひとつ、「老害」に加えて、若者との対話で気をつけたいのが、「イヤ汁」視点です。
この言葉は、エッセイスト・酒井順子さんのベストセラー『負け犬の遠吠え』(2003年)の中で登場する表現で、彼女は「イヤ汁」を、“不自然な時間的余裕”と“こじらせた自己表現欲”が混ざりあい、周囲にじんわりとした違和感や不快感を与える気配・雰囲気として描いています。
同書では、結婚・出産経験のない30代以上の女性が、子育てなどに追われていないことから生まれる“時間的余白”を、「凝った趣味」や「突飛な行動」たとえばマニアックな海外旅行、着物、日本舞踊、ワイン、推し活などに注ぎ込む様子が、どこか皮肉を込めてつづられています。
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