“15年休みなし”のラーメン店経営をやめて岩手から東京に移住した54歳男性。三男が猛反対、「泣きながら盛岡を出た」意外な顛末

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ひとしさんはタクシー運転手の職にすぐに慣れ、みきこさんは東京では介護事業所で働いている。

みきこさんは言う。「過酷な飲食業はもうやらないと決めました。子どもが小さい頃、仕事ばかりしていたことが本当に心残りでした。でも、今は子ども3人とも近いのですぐに集まれるし、東北にも墓参りなどで行く機会があり、かつての友人知人などにも会えます。東京に来てよかったと思います」

ひとしさんも続ける。

「私は人間関係も含めてどこに行ってもわりと平気なほうなのですが、年を取ってからだと移住などできません。私は昔東京にいましたし、タクシー会社の仲間もいる。

さらにギターで演奏会などもするようになり、趣味の時間もできました。時間は今のほうが圧倒的にあります。妻と2人で飲みに行くことも楽しみの一つです。今や休みが週1日では足りないくらいで、とても昔のような休みほぼなしの生活には戻れないと思います」

若かりし頃からギターを楽しんでいたひとしさん(写真:ひとしさん提供)

体力があるうちにしたいこと

ただ、ひとしさんが60代後半となり、定義上は「高齢者」になった。やはり年を取ってきたということは身をもって感じるという。

「昨年は2人で鎌倉に1泊2日の旅行をしたのですが、お寺の山道を夫が上れませんでした。過酷な労働をしてきて体力はかなりあったはずなのですが。もっと体力があるうちに旅行など行けばよかったとは思いました。今のまだ元気なうちに新婚旅行で行ったハワイにはぜひもう一度行きたいと思っています」(みきこさん)

今後は家族が集まれるうちに集まり、やれることをやることが目標だ。

ひとしさんは「ここ3年くらい体力は落ちてきましたが、家族全員で旅行に行きたいです。今まで行けなかった分行きたい。そういう意味で、東京に移住して時間の融通が利くタクシー運転手をやっていることはよかったなと思っています」と夢を描く。

寅さんの「男はつらいよ」における人生の名言として、「人間は、何のために生きてんのかな?」と訊ねた甥っ子への返答がある。

「生まれてきてよかったと思えることがなんべんかあるじゃねえか。人間、そのために生きてるんじゃねえのか?そのうち、お前にもそういうときが来るよ」

寅さんの地元を足がかりに東京移住を実現したひとしさん一家。「生まれてきてよかった」と思える瞬間を今後もたくさん経験することだろう。

【前編】「22時間労働」ラーメン店主が54歳で東京移住の訳はこちら
東京“老後”移住
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岩崎 貴行 ジャーナリスト・文筆家

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いわさき たかゆき / Takayuki Iwasaki

1979年埼玉県生まれ。2003年早稲田大学政治経済学部卒業、同年日本経済新聞社に入社。政治部、金沢支局、社会部を経て、2013~2020年文化部で音楽(ジャズ・クラシックほか)や文芸などを担当。さいたま支局キャップ、地域報道センター次長も務めた。2024年9月に同社を退職し、同年10月から出版社勤務。専門は音楽を中心とする芸術文化で、音楽雑誌やネットメディアなどへの寄稿多数。東日本大震災、福島第1原発事故などの取材に関わった経験から、環境問題、地域振興などへの関心も高い。

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