みきこさんは言う。
「特に主人はほとんど休みなく稼働していました。まとまった休みなんてなかったですね。家族旅行などもほとんどなく、せいぜい日帰りのドライブくらいでした。唯一行った泊まりの旅行といえば、岩手県内の温泉の宿泊券をもらったときくらいです。子どもには本当にかわいそうなことをしたなと思います」

以前三男が「他の家族は旅行に行っているのに、どうしてうちは行けないの?」と聞いてきたことがあったという。三男も事情は何となくわかっていたのでそれ以上は言わなかったが、父母が忙しすぎて寂しい思いをさせていたのは間違いない。
だが、東北の人たちは皆「いい人」だった。みきこさんがひとしさんを手伝いに行くときは友人たちが助けてくれたり、留守番してくれたりした。町内会の人も子どもを「ミニトマト採ろう」などと誘ってくれた。人情はやはり田舎のほうが強く、地域で助け合うことが当たり前だった。
「震災」と「母と姉の死」で閉店へ
それでもなんとか10年以上やってきたが、2011年3月11日に東日本大震災が起きた。盛岡は内陸だったので被害は少なかったが、未曾有の地震と津波、そして原発事故によってひとしさん夫妻も1カ月間、店を休業した。
震災後、店の売り上げは下降線をたどった。さらに2013年、母の面倒を見ていた姉に胃ガンが判明し亡くなった。そして母も、姉の1カ月後に亡くなった。立て続けに不幸が続き、ひとしさんの心境にも変化があった。
「ラーメン店も売り上げが厳しくなり、どうしようかと思っていましたが、姉も母も亡くなったことで東北にいる必要はなくなった。そこで妻とも相談し、2人の死去を機に2013年6月に閉店し、東京に移住することを決めました。姉が母の世話で大変な思いをしていたのを見ていたので、今度は妻の実家近くに住もうと思ったのです」
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