増え続けるビジネスケアラー。働きながら親の介護と家事を続け、24歳で家を購入した元日テレアナウンサー町亞聖さんが語る「後悔」<後編>
告げられた余命は半年。母親の病気がわかってからも生活は変えず、母親と週1回は近所のスーパーに行き、月に1回は遠出した。町さんは「母親が生きている間は泣かない」と心に決め、いつも笑顔で過ごしていた。
ところが、酒に酔った父親の一言でそんな配慮は無駄になってしまう。
「なんで、お前らはいつもヘラヘラ笑ってるんだ。母さん、もうすぐ死んじゃうんだぞ!」
その場が凍り付いた。
「そのときは、『母さんは何も知らないのに』と目をむくほど驚いたし、『父さんの大バカ野郎!」と憤りも感じました。母が心配で振り向いたところ、『困った人ね』といわんばかりの穏やかな表情をしていたんです」
このときの父母の対照的な姿は、とても印象的だったという。

悲しいときは素直に泣けるように
後日、町さんは「家族が頑張れば頑張るほど、母親は泣くに泣けなかったかもしれない」と思うようになった。歌人で細胞生物学者の永田和宏さんから、こんな経験談を聞いたからだ。
永田さんは、妻が乳がんになったとき、妻の前では平静さを装い、普段通りの暮らしをしようと心がけた。一方、妻は乳がんの悲しみを分かち合えず、平然と暮らす夫の姿に「置いてけぼり」のような寂しさを感じた。ところが、妻の乳がんが再発したとき、永田さんには最初の告知より衝撃が大きく、狼狽して妻の前で泣いてしまった。すると、妻は夫が自分のことのように嘆き悲しんでいるのを見て、むしろうれしかったという。
――そんな内容だった。
「この話を聞いたとき、父母の姿を思い出したんです。母のことで慟哭する父を見て、母も永田さんの妻と同じ気持ちだったんじゃないかと。私は笑顔でいようとして強がっていたけれど、悲しいときやつらいときは、素直に泣いてもよかったんじゃないかと思えるようになったんです」
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