増え続けるビジネスケアラー。働きながら親の介護と家事を続け、24歳で家を購入した元日テレアナウンサー町亞聖さんが語る「後悔」<後編>
命に限りがあるとわかったとき、家族はどう対応すればいいか。その答えに正解はない。だが、それでも「自分がどう思っているか、その気持ちは本人に伝えたほうがいい」と、町さんは周囲に勧めるようになった。
母が末期がんと診断された時期、父親にも胃がんが見つかった。さらに、母を自宅で看取った5年後、今度はアルコール依存とビタミンの欠乏により脳が委縮する病気(ウェルニッケ・コルサコフ症候群)と診断された。
父親はそれまで以上に酒の量が増え、それが自らの命を縮めることになった。仕事が終わると酒をあおり、弱音を吐いた。感情にまかせて町さんに物を投げ付けることもあった。
それについて、町さんはこう考えている。
「もちろん、男性にもいろんな人がいるので一概には言えませんが……。父を見ていると、妻の病気や介護で追い詰められて、うつ状態になってしまう男性は多いんじゃないかと思うんです。私と妹がいつも悩みを分かち合っていたように、男性も何でも話せる人や居場所などのつながりを持っておくことは重要だと思います」
町さんが今、後悔していること
母親を看取った町さんが後悔しているのは、「アルバムを見ながら、一緒に思い出を振り返ればよかった」ということだ。
「先に逝く母も、二度と行けないことはわかっていたはず。ともに過ごした楽しかった時間を母と分かち合うことは、家族だからこそできることだったからです」と町さんは言う。
町さんの15年間にわたるケアラー経験は、休むことの許されない多忙な日々の連続だった。
一方で、アナウンサーとしての視野が広がり、想像力と共感力を養い、言葉に深みを蓄える時期でもあった。特に、医療や介護、障害福祉に関するテーマでは、自分の言葉で意見や社会への提案を語っている。
アナウンサーになるための就職活動中、町さんは「障害があっても、普通の暮らしができることを伝えたい」「障害があっても、当たり前の暮らしができる社会にしたい」と面接で訴えた。その原点は30年以上経ったいまでも、心の中に強く持ち続けているという。

*「仕事と介護の両立支援に関する経営者向けガイドライン」(経済産業省、2024年)
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