増え続けるビジネスケアラー。働きながら親の介護と家事を続け、24歳で家を購入した元日テレアナウンサー町亞聖さんが語る「後悔」<後編>
病気の後遺症で片麻痺がある母親にも、食後の洗い物や洗濯機のボタンを押したり、乾いた洗濯物を畳んだりと、片手で時間がかかってもできる家事をやってもらった。「できないことではなく、できることを」を心がけた。
部屋の隅に置いた掃除機を使って、掃除をすることなど、当たり前の暮らしを取り戻していくことが、母親のリハビリテーションになっていた。
「母も妹も、できることを率先してやってくれました。そのときに感じたのは言葉の大切さ。人の手を借りるとき、つい『すみません』と言ってしまいがちですが、感謝を示す『ありがとう』のほうがいい。うちでも、できるだけそう言うようにしていました」
体の震えが止まらないほどの後悔
町さんのケアラー生活が始まって8年目、さらなる試練に襲われた。母親に末期の子宮頸がんが見つかったからだ。ある日の夕食時にトイレに行こうと立ち上った母親の下半身に異常を感じ、確認すると尋常ではない出血をしていて、そのまま病院へ。
診察を受けたところ病状は深刻で、「なんでこんなになるまで放っておいたの」と町さんは医師から言われてしまった。
実は、母親は3年前の子宮頸がん検診で、要観察と医師から言われていた。今でこそ子宮頸がんは、検査で前がん病変(がんに進行する前の変化)が見つかったら、治療で切除することができる。だが、当時はそうしたことや、原因となるウイルス(HPV)に関する情報がほとんど出ていなかった。
「車いすの母をがん検診に連れていくのは、私の役目です。『大変なことをしてしまった』と底なし沼に突き落とされたような感覚で、体の震えが止まらないほど後悔しました」と町さんは振り返る。
母親には病状を伝えなかったが、きょうだいには話した。妹は激しく動揺し泣きじゃくったが、消防士から救急隊員になった弟は「命は長さでなく、深さだから」と声をかけてくれたという。

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