増え続けるビジネスケアラー。働きながら親の介護と家事を続け、24歳で家を購入した元日テレアナウンサー町亞聖さんが語る「後悔」<後編>

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ビジネスケアラーの最大の課題は、仕事と介護、家事が時間的に両立できなくなり、離職せざるを得なくなることだ。離職すれば収入が途絶えるうえ、いつまで続くかわからない。介護のため「再就職が難しい」という現状もある。

町さんの場合、そこに“一家を支える大黒柱としての役割”も加わった。

町さんは就職2年目、24歳のときに35年ローンでマンションを買った。実家はあまり裕福でなく、3DKに5人暮らし。父親は母親の介護ベッドの下、町さんと妹は同じ部屋で、弟は4畳半で寝起きしていた。

父親から「ありがとう」の意味

「日本テレビに就職が決まると、父から『ありがとう!』って言われたんです。そのときは意味がわからず、謎の言葉だなと思っていましたが、のちに父から『お姉ちゃん、家が欲しいんだよね』って言われ、そういうことだったのかと腑に落ちました」

車いす生活の母親は、家にいることが多い。もっと日が差し込んで外が見えるマンションで暮らせたらいいのにと、町さんも思っていた。24歳という若さで家族のために家を買うという選択肢は想定外だったが、結局、購入を決めた。

「マンションの購入契約を交わすときは、これで59歳までは会社を辞められないと震える手で印をつきました」

新居に移っても、ビジネスケアラーとしての生活は続いた。

幸い、テレビ局には当時からフレックス制度が導入されていた。町さんは平日の夜11時からのスポーツ番組を担当していたため、午前中にスーパーで買い物をし、夕食の作り置きをしてから、出社することができた。

大学を卒業後は、住宅関係の仕事に就いた妹とスケジュールを調整しながら介護や家事をこなした。妹は仕事と介護を両立させるために、勤め先の会社に事情を伝えたうえで「転勤はしたくない」と要望を出していたという。

母親と町さん(写真:町さん提供)
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