総合スーパーにのしかかる出口のない未来 ユニーがファミマとの統合で見出したいもの

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今でいえば「ワンストップショッピング」の嚆矢であり、かつチェーン化の原型ともいえる。大型スーパーとして名古屋でその地位を不動のものとしたあと、昭和38年(1963年)というかなり早い段階にショッピングセンターをオープンさせた革新的企業でもある。

西川屋は半田市に教育施設を建設し、そこで社員教育を施した。小売業を科学的に考え、新人教育から仕入れ、そして幹部教育までを行うのは、当時きわめて先進的な取り組みだった。

「最大の売り場面積」が競争力の源泉に

この近代的な発展を指揮したのが2015年の1月に鬼籍の人となった西川俊男氏だ。当時の経済誌を読むと「その土地において、最大の売場面積を持つということと、そうして、衣料と食品を中心に、いずれも平均300坪以上のスケールを持った店で、圧倒的に多くの購買客を動員し、その地域の<核>になるという方針でした」と述べている(『販売革新』1966年3月号)。

人柄と手法は、「酒も煙草もたしなまず、生活は質素そのもの、余悠があれば悉く商売に注ぎ込むと云ったやり方」(『商業界』1955年6月号)で、1950年代から、1970年代まで発展を続けた。

有名なのはユニーが1971年に登場した際、従業員1900人で売上高350億円の西川屋(当時「西川屋チェン」)が、従業員3700人で売上高600億円の「ほていや」を統合して誕生したことだ。西川俊男氏が交渉を指揮したこの統合劇は、西川屋主導でおこなわれ、その強さを市場に知らしめた。

その後、多角的に売上高を稼ごうとするユニーの戦略は正しかったといえるし、実際に順調に伸びてきた。郊外店を出店し、実際に売上高を伸ばしてきた。さらにコンビニの展開など、その功績は大きい。

ただし、そのGMS的な発想や郊外店の拡充が、まさに現代においては足かせになってしまっている。ファミマとユニーの統合協議は2015年春先から進められてきたものの、ここまで長引いた理由の一つとして、ユニー社内側に「そもそもサークルKサンクスのライバルだったファミマに看板を替えていいのか」という慎重な意見のほかに、不振のGMSをどうしていくかという議論があったとみられる。

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