「ネガティブ感情」を吐き出すにもコツがいる! “誰か”に聞いてもらうなかで心を守るための「効果的な方法」
嫌な思いをした当日も、よくよく観察していると、ずっと嫌な気分が続いているわけではなく、たまに忘れ、また思い出すことを繰り返しています。おそらく、人間の心の構造上、同じ感情をずっと持ち続けるのは難しいのだろうと思います。
先ほど、日常で感じるネガティブな感情を「擦り傷」にたとえましたが、私の場合はまさに擦り傷が自然に癒えるぐらいの時間で、嫌な思いも癒えることがわかりました。「この気持ちもいずれ消えるものなんだな」とわかってからは、怒りや不安を感じている最中も少し楽になりました。
原因を詳細に書きすぎないようご注意を
また、自分の気持ちを書き留めていると、さまざまな発見があります。
以前、ある人から明らかにこちらを見下した態度を取られて腹を立てたことがありましたが、それについて書いているうちに、ふと「いくら見下されていると言っても、それは相手の頭の中、つまりあの小さな頭蓋骨の中で起こっていることでしかないんだよな」という思いが頭をよぎりました。
さらに、「あの人に見下されて腹が立つということは、私は“あの人に評価されること”を重視しすぎているんじゃないか。つまり、あの人に依存している部分があるんじゃないか」ということにも気がつきました。嫌な人に自分の評価を委ねたり、依存したりすることほど馬鹿馬鹿しいことはありません。それでかなり怒りが冷めました。
またあるときには、ある人の言動のパターンがいちいち気に入らなくてイライラしていたことがありました。そのことをつらつらと書いている最中に、「あ、私は単に、あの人と“合わない”んだな」と気づきました。もともと合わないのに、「合わせよう」とか「どうにか仲良くしなきゃ」「共感してみせなきゃ」と思っていたから余計に苛立っていた、とわかったのです。
「シンプルに性格が合わない」ことを前提にすると、その人への接し方も変わりました。無理に仲良くしようとせず、いろいろ工夫して顔を合わせる時間と頻度を減らし、必要なことだけを適切な言葉で伝えるように心がけました。その結果、イライラすることが減りましたし、なぜか前よりも関係が良好になりました。
こんなふうに、書くこと、つまり「自分に聞いてもらう」ことに効果を感じますが、1つだけ気をつけていることがあります。それは、怒りについては、その原因を詳細に書きすぎないことです。「こんなことを言われた」「こんなことをされた」と細かく書きすぎると、後から読んで「こんなにひどいことを言われたのか!」と「思い出し怒り」を引き起こすことがあるからです。書くことの目的は、ネガティブな感情を自覚すると同時に適度にガス抜きすることなので、自分の傷をえぐらない程度にぼんやりさせることも大切だと考えています。
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