「誰もが住みたい街」に共通する絶対的条件 人はなぜ、吉祥寺にそこまで憧れるのか

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結果として今後、公共サービスが切り下げられていくことは想像に難くない。これまでのように、住民をお神輿に乗せて担ぐような、なんでもかんでもやってくれるサービスは期待できず、サービスを武器に転入を促すこともできなくなる。

もう一つ、今後生き残る街を考える上で重要なのは、住民の意識に変化が生じていることだ。つまり、お神輿に乗せられていることに飽き足らない人が増えているのである。

住民は単なる消費者ではない

資本主義は効率を重視する。そのため、消費者と生産者を分け、消費するだけの人、生産するだけの人を作ってきたが、人は本来創造的な生き物である。受身でいるのは楽ちんではあるが、つまらない。

住宅でいえばDIYやセルフリノベなどといった流行は、自分でも何か作りたい、表現したいという欲求の現れだろうし、ボランティアなど社会貢献にいそしむ人は受け身一辺倒では自分を生ききっていないと感じているのだろう。日々の取材を通じても能動的に動く、動きたい人が確実に増えていると感じる。

「情報量」「行政の変化」「住民の意識の変化」――この3点を総合して考えると、行政と受け身でいたくない人たちが組むことが、状況の打破に役立つであろうことは推察できる。この形であれば参加する人は住むことで自己実現ができ、住む満足度が高められる。活動を発信することで自治体の情報発信力不足を補うこともできる。

活動を通じて地元に知り合いが増えれば、人生は楽しくなり、コミュニティは強くなる。同時に自治体は以前より少ない費用で住む人にサービスを提供できるようになり、しかも満足してもらえるようになる。つまり、住む人とその活動を新たな資源にするということである。

実際、一部の自治体では住民を巻き込んだサービスの提供を始めている。たとえば千葉市が行っているちば市民協働レポートちばレポは好例だろう。これは市民が市に何らかの手を打ってほしい箇所などをスマホで画像と共に送るというもの。必要があると判断すれば、市はすぐに工事、改修などの手を打ち、それをホームページに公表する。

市民からすれば自分の要望に市が応えてくれたことが分かり、市政への参加意識が高まる。市からすれば市全域を巡回しなくても市民が不備を報告してくれ、しかも画像から必要性が読み取れるので無駄な動きをしなくて済む。お互いに満足行く施策というわけである。

ただし、街の主体はあくまで住む人である。自発的に動き、自分たちの街に関わろうとしている人がいるかどうかがこれから生き残る街には必須だ。加えて言えば、それらの活動が緩く繋がり、成長する様相を見せていればさらに良いだろう。

中川 寛子 東京情報堂代表

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なかがわ ひろこ / Hiroko Nakagawa

住まいと街の解説者。(株)東京情報堂代表取締役。オールアバウト「住みやすい街選び(首都圏)」ガイド。30年以上不動産を中心にした編集業務に携わり、近年は地盤、行政サービスその他街の住み心地をテーマにした取材、原稿が多い。主な著書に『「この街」に住んではいけない!』(マガジンハウス)、『解決!空き家問題』(ちくま新書)など。日本地理学会、日本地形学連合、東京スリバチ学会各会員。

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