通路への出やすさやコンセントに限らず、窓側と通路側の座席にはそれぞれ魅力と、逡巡の原因となる事柄がある。ただ、その多くは隣席の人との関係に起因しているように思われる。ここまで挙げたもの以外にも、窓の日よけの開閉、乗降に伴う網棚の荷物の上げ下げ、細かいことまで言及し始めるとキリがなくなる。
なんとなく当たり前になっているけれども、見知らぬ隣人だからこそお互いに意識せずとも気を使っていることは結構ある。指定席の場合は「ここは私の席だ!」と胸を張れるけれども、その周囲の空間およびそこに属する設備については帰属が難しい。
座席の指定はできるが、隣の人は選べない
新幹線や特急に乗るとき、座席の指定をすることはできるが、誰と並んで座るかを選ぶことはできない。たまたま(という偶然の積み重ねのうえに)隣人とはほんの一時を過ごすことになる。この先に二度と会わない可能性のほうが恐らく圧倒的に高いわけで、最初から最後まで素知らぬ顔をして過ごしたほうが楽なのかもしれない。
そういう人に「これも何かの縁ですから」と話しかけるのは難易度が高い。ただ、心の持ちようだけでも、「これも何かの縁ですから」でいれば、座席周辺の帰属がぼんやりした設備について、はっきりした線引きを求める必要がなくなるのではないだろうか。ほんの一時だけども座席周辺の空間を共有し、そしてさよならしていく。これもまた、旅におなじみの「一期一会」の類型の1つかもしれない。
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