「小さい頃からずっと憧れていた早稲田」 《2浪しても合格には届かなかった》受験人生 それでも彼が浪人で学んだこと

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幼稚園の年長のときに大田区に引っ越したものの、父親はずっと母校愛が強かったようで、藤野さん自身も自然と早稲田に対する憧れが頭の中にあったそうです。

小学校低学年では野球、小学校の途中からサッカーをしていた藤野さんですが、背が低いことでスポーツをするには不利だと感じたこと、学校の勉強もあまりできなかったために自分自身にかなり劣等感を抱く少年時代を過ごしました。

公立の小学校〜中学校時代の成績はずっと下のほうだった藤野さん。

濱井正吾 浪人 早稲田
中学時代の藤野さん(写真:藤野さん提供)

高校受験ではなんとか東京都立大森東高等学校(現:東京都立美原高等学校)に進学できたものの、高校でも同級生200人中で、中の下〜下の上くらいの成績でした。

浪人してでも早稲田に受かりたかった

専門学校や就職する人が多数派だった学校で、藤野さんが受験を決断したのは高校3年生になってからでした。

「大学に行く人が周囲にあまりいなかったので、私も何も勉強をしていませんでした。ですが、私は親が早稲田でしたし、祖父が京都大学、その兄が東京大学の出身でした。そういう家系だったので、自分だけバカなままでいいのかな、大学に行かなければまずいかなと考え出したのです」

こうして高校3年生の夏ごろから私立大学を目指すために3教科に絞って受験勉強を始めた藤野さん。しかし、当時の日々について「受かるはずがなかった」と振り返ります。

「現役のときは予備校も行ってなくて、意味不明な勉強ばかりしていたんじゃないかなと思います。2〜3時間しか勉強していないのに、勉強したつもりになっていました」

結局、この年は偏差値50に満たない大学にいくつか出願し、2つの大学に合格したものの浪人を決断します。その理由を聞くと、「負け犬で終わりたくなかったから」と答えてくれました。

「父親は常日頃から何かあれば『早稲田!早稲田!』とずっと言っている、早稲田ラブの人でした。だから私自身は勉強が苦手だったにもかかわらず、頭の片隅に早稲田があり、浪人して受かりたいと考えたことが大きいです」

小さい頃からの憧れだった早稲田大学を目指すため、吉祥寺にある東進ハイスクールに通うことを決めた藤野さん。この1年は、彼の人生を大きく変えたそうです。

そのきっかけは、英語の安河内哲也先生の授業を受講したことでした。藤野さんは、安河内先生との出会いを「人生を変えてくれた」と、当時の衝撃とともに振り返ります。

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