「どこから流出したん?」「LINEって勝手に公開していいの?」 永野芽郁(25)と田中圭(40)の《不倫疑惑とLINE流出》が示す“本質的なヤバさ”
さらに2人が芸能人であることから、報じる側には「公共性・公益性」「報道の自由」が認められる可能性があり、ビジネスとして利益が得られるのなら「やったもの勝ち」というのが現実。
永野さんと田中さんから見たら、もしLINEの内容に覚えがなかった場合でも、「訴えない」という選択のほうが現実的な感があります。
しかし、LINEの流出に関しては、本人のガードがよほどゆるくない限り、「無許可などの不正・違法な行為でデータを入手した」とみるのが自然でしょう。
データの内容はさておき、そんな入手方法を社会的に許していいのか。今回の件も、もし誰かがLINEのデータを不正・違法な行為で入手したのなら、不正アクセス禁止法違反などの罪に問われなくていいのか。
不倫疑惑よりも、むしろデータの入手方法を問われない社会のほうに怖さを感じてしまいます。
“手つなぎ写真”は説得力十分ではあるが…
第2弾の記事に関しては、LINEのスクリーンショットがなかったことに、「情報提供者を守るためだろう」「罪に問われるリスクを避けたのではないか」などの声があがっていますが、そこに本質はないでしょう。
本質はLINEでのプライベートなやり取りを無許可で広く公開することの是非であって、「それをビジネスに利用していいのか」を社会で考えていきたいところです。
話を永野さんと田中さんに関する記事に戻すと、不倫疑惑における最大の根拠は、第1弾で報じられた2枚の手つなぎ写真でしょう。それ以上の身体的な接触をした証拠はなく、記事中に書かれていた郊外レジャーランドでのデートなどの写真もありませんでした。
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