時給480円→海外セレブ担当!「日本人ネイリスト」の波瀾万丈な人生 母を亡くし20代で単身スペインへ 異国で這い上がった彼女の生き方
優勝を機に、状況は変わっていった。
スポンサーが付き、最高の技術を提供したい沙弥香さんと、自社製品を使わせたいサロンとの間に溝が生まれた。彼女は語る。
「いい技術を提供するには、クオリティの高い商品を使いたい。それが自社商品じゃないとしても。私の使命は、お客様を満足させることだと思うので」
雇い主との考えの相違から店を離れることを決意。過去の門前払い経験がトラウマとなり、「自分のお店を出す以外に道はない」と悟った。バルセロナでは週6日働き、唯一の息抜きは友人との家飲みだけ。旅行も行かず新しい交友関係も広がらなかったため、自然と資金は貯まっていた。
2014年4月、「KIRA NAILS(キラネイルズ)」をオープンさせた。
店名には「みんなキラキラ輝くように」という思いを込めた。開業資金は3.5万ユーロ(当時のレートで約400万円)。物件は古かったものの、利便性が高いグラシア地区にお店を構えることができた。大会制覇まで共に戦ったヨウコさんと、元同僚だったスペイン人のアドリアナが「一緒にやる!」と参画してくれた。
2015年には、過去の優勝者だけが参加できる大会で頂点に立ち、「チャンピオン・オブ・ザ・チャンピオン」となる。この時、沙弥香さんは妊娠8カ月だったという。大きいお腹を抱えてネイリスト界の頂点にたったのだ。

当時の思いを沙弥香さんはInstagramにこう綴っている。
「誰が私よりネイルに時間を費やしただろう。そうやって私は優勝した。奇跡なんてない。何千回もさらに何千回も繰り返す。"Slow and steady wins the race.(急がば回れ)" 」
(英語投稿の日本語訳)
目指していたヘアメイクの仕事
同時期に、ヘアメイクの仕事も舞い込む。
フォトグラファーの顧客から「撮影の仕事に興味があったらアーティストエージェンシーに行ってみたら?」と助言され、もともとヘアメイク志望だった沙弥香さんは、面接を受けてみることにした。社長は、元スタイリストだったというドイツ人。これといった特別な面接はされず、「君、チャンピオンなんでしょ?」と聞かれただけであっさり、決まった。
最初に頼まれた撮影仕事は、メキシコ版『VOGUE(ヴォーグ)』。
『ヴォーグ』は、ファッション界トップレベルとも言われている仕事だ。デビュー戦から挑戦することになり、手探りながらも全力を尽くした。
サロン運営をヨウコさんに任せ、沙弥香さんは撮影の仕事に活動の場を広げた。次第に一流ブランドの仕事も舞い込み、新たな課題も見えてきた。
「英語のプライベートレッスンを始めました。撮影で会うモデルさんたちはいろいろな国から来ていて、英語が話せないとコミュニケーションが取れないんです」
その後は順調に仕事の幅が広がり、大手ブランドや著名人からのオファーも増えていった。

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