時給480円→海外セレブ担当!「日本人ネイリスト」の波瀾万丈な人生 母を亡くし20代で単身スペインへ 異国で這い上がった彼女の生き方
スペイン語を学び始めて1年半が経った頃、仕事を探す決心をする。仕事をするなら美容業と決めていた沙弥香さんは、求人の多いマドリードかバルセロナを検討。旅行がてら両都市を訪れ、直感でバルセロナを選んだ。
「サラマンカで知り合った日本人のツテで、バルセロナにあるネイルサロンを紹介してもらいました。カタルーニャ人と日本人の共同経営のお店です。ネイルは小さい頃から得意でした」
労働ビザも出すと言われ、トントン拍子で決まった仕事。バルセロナに移住し、明るい未来が待っているはずだったーー。

しかし2008年5月、バルセロナで働き始めると、想像と違う現実に直面した。
沙弥香さんは初めての給料に目を疑った。月給500ユーロ(約8万円)。スペイン政府の報告した2008年の最低賃金600ユーロ(約9万6000円)を下回る低さである。時給に換算すると3ユーロ(約480円)ほど。家賃を払うと手元には何も残らない。とてもではないが「生活していけない」と思った。
言葉の壁も厳しかった。スペイン語に慣れたとはいえ、まともに接客をする語学力はまだ身についてはおらず、お客さんからは不安そうな声が漏れることもあった。
「ねえ、この子、私の言ってること通じてるの?」
「シー(はい)しか言わないけど大丈夫?」
<うまく話せないけど、言ってることは分かってるから……>と心の中で思いながら、「エンティエンド(分かってます)」とだけ答える日々が続いた。
技術で勝負し3カ月待ちになるまでに
それでも、沙弥香さんの指名客は着実に増えていった。当時バルセロナではネイルサロンはまだ珍しく、彼女の丁寧で細やかでかつ素早い技術は高く評価され、リピート率に繋がった。
次第に予約は3カ月待ちになるほどの人気になる。店内で最も売り上げを上げていたにもかかわらず、給料は据え置きのまま。「でも、しばらく働けば、会社側が取得の難しい労働ビザの書類を準備してくれると約束しているから」と自分に言い聞かせていた。しかし、サロンの給料だけでは生活していけないため、副業として自宅でも施術を行うようになった。
それからは、過酷な日々を過ごした。
朝8時半に自宅で1人目のお客さんを施術。10時にサロンへ出勤し、19時の閉店まで働き、帰宅後も23時頃まで自宅でネイルを施す毎日が続いた。1日の労働時間は14時間半に及んだ。
「ひたすらネイルを塗っていました。夢の中でもネイル塗ってて(笑)。目をつぶりながらでもできたと思います」
約束されていた労働ビザはいつまでも発行されず、学生ビザ延長のための費用は、自己負担しなければならない。次第に退職を考えるようになった沙弥香さんは、「新しい職場を決めてから辞めよう」と履歴書を持ってネイルサロンを回った。
しかし現実は厳しかった。
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