モノにあふれているのに「何かが足りない」「もっと何かが欲しい」と感じてしまう人たちが知らない、脳に組み込まれた「欠乏ループ」の正体
その昔、食べ物、情報、影響力、所有物、生きていられる時間、気分を良くするためにできることなど、人間の生存にとって重要なもの――そしてそれ以上のもの――は希少で、見つけるのが難しく、消えやすかった。それらをより多く追い求めた者が、生き残って子孫に遺伝子を伝えることができた。
彼らにとっては過食や、ものや情報の蓄積こそがデフォルトであり、他人や環境に対する影響力を追求したり、快楽と生存欲を過剰なほど追い求めたりするのが普通だった。
こうした進化上の欲求に従って生物は生き延びることができた。それはすべての種にとっていまも理にかなっている――ただ一つの種を除いては。
現代社会では欠乏脳が問題を起こす
産業革命の時代に、ものをより速く、より安く作る方法が発見されると、それまでの欠乏環境が豊かな環境へと急速に変化した。1970年代までにこの革命の恩恵は、先進国のほとんどの人々に広がった。以来それは、地球全体に波及しつつある。
私たちはいま、人類が進化の過程で切望してきたものを大量に――あるいは過剰に――手にしている。
たとえば食べ物(なかんずく塩辛いもの、脂肪が多いもの、甘いもの)、所有物(オンラインショッピングの獲物がいっぱいに詰まった家)、情報(インターネット)、気分を調整するもの(薬物や娯楽)、影響力(SNS)などだ。
それでも私たちは、まだ何かが不足しているように考え、行動するようにプログラムされている。まるでいまも、はるか古代の欠乏の時代に生きているかのように――。
頭蓋骨のなかにある1.3キロほどの重さの神経の束は、つねにあたりを精査し、欠乏のキューを見つけては優先順位をつけ、もっとたくさん消費するよう促す。
私たちはいまでも、体が必要とする以上の食べ物を摂取するように仕向けられている。より多い情報を衝動的に検索するように仕向けられており、不必要なものまで買うように仕向けられている。
他人への影響力を高めるために策を弄するように仕向けられており、つかの間の喜びをふたたび得るために、できることは何でもするよう仕向けられている。手中にあるものを使って楽しむよりも、自分が持っていないものの獲得に精を出すよう仕向けられている。
それは、私たちに欠乏脳が備わっているからだ。
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